2020年6月7日日曜日

「する」ではなくて「いる」なんだよね。そこに「いる」だけの為に来る人が増えれば~大谷直史さん(みんなの居場所ぽっと)インタビュー3/4~

現在YokaYokaでは、余暇支援に関わっている方(主に余暇、遊び、居場所)を中心に、「明日何しようかな~余暇支援に関わる方へのインタビュー~」と称して、お話を聞かせて頂いています。

鳥取でみんなの居場所ぽっとという居場所を運営している大谷直史さんに、「居場所とゲーム」を中心に、様々なお話を聞かせて頂きました。お話を聞かせて頂いたのは、新型コロナウイルスによる影響が本格的になる前の2月の下旬です。視察も兼ねて、ぽっとさんには2泊3日お世話になりました。

今回で3度目の更新になります。

前回までは、みんなの居場所ぽっとの理念、ボードゲームやカードゲームを楽しむ際に付随して発生するコミュニケーションについてお話を聞かせて頂きました。



今回は、居場所のこれからの在り方についてお話を聞かせてもらいました。特に、コミュニティや居場所に関連した活動を始めると、つながりを重視しているのに、いつのまにか境界線ができ、境界の外と内が発生してしまうことについては悩んだことがあるのではないでしょうか?

是非、一度目を通して頂けると幸いです。

みんなの居場所ぽっと 外観


コミュニティを作ると、境界線の内と外を作ってしまう。

ー 話を伺っていて、メンバーシップに捉われないという部分は、YokaYokaも近いと感じました。(みんなのゲームクラブに)来た人にゲームを教えるというよりは、一緒に楽しみたい。勿論、ルールを知っていたら教えますけど、一緒に楽しむことを大事にしています。でも、僕らは疑似家族のような家族のありかたまでで考えてないので、ぽっとの居場所の役割とは異なるかもしれません。

大谷:今の家族がどんどん縮小していって、役割もどんどん減っていく中で、それを少なくとも補填するような、親密な関係を提供してくれるそうゆう場所は必要だと思います。
今、僕の考えている事は、欲望喚起されて従う事は悪い事ではない。自分に欲望が生じて果たそうとするのは非常にいい事。むしろ、それが出来なくなってしまうと引きこもってしまう。引きこもりは、どんどん他者を排除していくので、欲望が発生しなくなる。欲望が閉じられていくところに問題がある。ぽっとにいると、ニーズがあって、様々な子ども達がどんどんやってくる。その子どもと楽しく遊ぶけど、もっと他に寂しくしている子どもがいるはずですよね。僕と遊びたいと思っている子ども達を、結果的に排除してしまっている。そうゆうやつなんですよ。「贈与」は。ずるいやつ。

ー 与える対象をこちらで決められてしまう不平等さがありますね。

大谷:うちの場合であれば、たまたま近くに住んでいるとかね。

ー ここにアクセスできる人に限られてしまう。

大谷:限られている。その限界を常に感じながらも、そうでしか提供できない。

ー これが訪問支援になってしまうと、元々の根本を変わってしまいますか?

大谷:訪問でも同じことで、特定のところとつながるということは、他を排除する。これは非常に困っています。「交換」と「分配」の戦略は、つながっても排除しない。ただ、唯一「贈与」だけは、つながる事で他を排除してしまうという矛盾に陥ってしまう。

ー 「交換」は、排除する必要がないですよね。

大谷:そう、排除する必要がない。

ー 「分配」は、徴収して分配したいから

大谷:むしろ、排除しないことを目指している。「贈与」は、排除した方がいい事になっている。自分の家族が大事。親が、子どもの養育に、第一義的責任を負っている。だから、他を排除して、自分の家族だけを守る事が推奨されるシステムになっている。一義的責任とか入ると困ったなと思っていましたが。そうじゃなくしたい、違うシステムに持っていきたい。

ー コミュニティにしても、必ずどこかで線はひかれますよね。ネットの普及に伴い、アクセスの格差は解消されると思ったけど、ネットの空間でさえも特定の人とのつながりに限られている。居場所も同様に、来れる人に限られてしまう。来れない人は、大谷さんの提唱するNFOには入れない。僕は、様々な人が居場所を作っていけば、そうゆう取りこぼしはなくなる可能性はあると思っています。

大谷:可能性もあるかもしれないけど、コミュニティを作ると、境界線の内と外を作ってしまう。

ー 僕たちが「障害がある人もどうぞ」とチラシに書くと、健常と言われている子どもや家族はあまり来ないです。線を引かないために言った言葉が、結果的に境界線を引いてしまう。それで、「誰でも来れますよ」と書くと誰も来ない。それで、親子で楽しめるという言葉にしてしまうと、今の家族の形式に当てはまる人しか来られない。言葉により、境界線が日々引かれているのを感じます。解決の一つの方法として、居場所を構えてやる事だと感じて見学に来たのですが、居場所も限界があるという事ですね。

大谷:ボードゲームの集まりと子ども食堂を同時並行でやれば、それぞれに特化した人が集まり、何かしらの接触がおこる事により、偶然の出会いに期待したところもあったけど、あまり接触しない。こっちは、こっち、そっちはそっちになってしまいがち。

ー 昨日ボードゲーム会に来た人が、子ども食堂でご飯を食べているイメージは湧かないですね。ボードゲームを一緒にやる仲間の為に来ている印象を受けました。目的を持つととどうしてもそのようになってしまいますよね。

大谷:だから、「する」ではなくて「いる」なんだよね。そこに「いる」だけの為に来る人が増えれば。

ー でも、運営的に厳しくないですか?市場経済に巻き込まれていく部分はありますよね。

大谷:一時期住み開きという言葉が出たけど、各家庭が家庭を開放して、単に居る為のだけにどこでも行けるようになれば可能性はあったかもしれないけど、それはしんどいかもしれない。

ー 疑似家族がキーワードになると感じています。「機動戦士ガンダム」のホワイトベースの空間は、ある意味「疑似家族」的でしたよね?昔から、「疑似家族」的なものは、結構あったのかもしれないですね。

大谷:日本の場合は、企業が家族の代わりをしていたので、「家族の為」が「企業の為」に移り変わっていった。

ー その当時は、福利厚生もしっかりしていて、家族を受け入れるコミュニティになっていた。

大谷:地域社会よりも企業社会の方が、日本の福祉を担っていたと思います。

ー 80年代までですか?

大谷:きっと、80年代までですね。

ー 段々と終身雇用とかも崩れていって

大谷:90年代半ばには、そうゆう幻想も潰えた感じがありますね。

ー 2000年代は、ヒルズ族という言葉や、「勝ち組」「負け組」という言葉もありましたね。80年代は、「市場」と「家族」の距離が近かったという事ですか?

大谷:かつては、ここの領域は地域社会が担っていた。高度経済成長期に、地域社会が崩壊したので、地域が担っていた部分を、日本の場合は企業が埋めた。企業が家族的なものや国家的なものを提供していた。それは、一部の層に限られたものだったかもしれないけど。しかし、企業も儲からなくなったので、撤退していったという事じゃないでしょうか?

ー 地域も企業が担えなくなった空白の部分を、家の機能を拡大する事により埋めていく。そこをNFOが担っていく。その為の実験場が「みんなの居場所ぽっと」ということですね。

大谷:そうなるね。目指しているのは、標語でいうところの「平等な家族」です。平等な愛は可能なのかという実験場です。

ー それは、さっき言ったこの子と一緒に遊んだら、他の子を放っておく事になる事への平等性って事ですよね?

大谷:そこのジレンマを解決したい。

余暇も役立つ余暇にどんどんなっていっているからね。役に立たない余暇にしていかないといけない

― なるほど。最後に大谷さんの余暇に対する考え方を教えてください。

大谷:僕にとっては、全て余暇です。余暇と言われると、日常生活で疲れて疲弊しているのを癒すためのものと言われているけど。そうゆう枠組みでは、あまり考えない。むしろ、この如何につまらない暇ばかりな人生をどう楽しくできるか。僕は、人生はゲームだと思っているので、なるべく楽しいルールにした方が良いし、なるべく平等な方が良い。特に家族においては、ルールを変えてあげないと、悲惨な家族に生まれたプレイヤーは可哀想な状態になっている。

― つまりは、初期条件が不平等すぎてそもそもゲームにならない

大谷:そうそう。

ー それを、NFOという家族の機能を拡大していく事によって、この初期条件の不平等さを解消したい

大谷:初期条件をなるべくフラットにする試みと言ってもいいかもしれないね。

ー みんな5金を持っているのに、1人だけ1金しか持っていないみたいな。資源の購入は3金からなのに。

大谷:しかも、逆転のチャンスもない。ルール変更して、母親からの贈与だけに限らず、ここでも贈与できますよ。贈与が足りない人は、来てくださいという事。

ー 贈与の関係性を増やすといのは良いですよね。責任を親だけで担っていくのは、しんどいと思います。関わる人が増えて、責任を分散していって、しんどくないようにしていく。東京大学先端研究所の熊谷さんは、障碍者にとっての自立とは依存先を増やすことであると述べていたましたが、それと近いですね。

大谷:そうですね。おそらく今の余暇の使い方は、ノイズを排除する余暇になっている。むしろ、逆だろうと。だから、YokaYokaも余暇の在り方をかえていく事を目的にしている?そういえば、YokaYokaは余暇を選択できるフラット社会を目指していると言っていけど、「YokaYoka」の言葉の中に、「丘(oka)」という言葉が2つ入っているからよくないんじゃないかな。

ー 本当ですね!! 今、気づきました() 当初、余暇という言葉を使うか遊びという言葉を使うかで迷いました。でも、「遊び」という言葉を使うと、大人が入りづらくなってしまう。大人だって遊びたいし、他者とのつながりを増やしたいと思っているはずだし、人生を充実する為には、他者の存在は欠かせない。人生を楽しむ為には、一人で取り組むことだけでは限界がある。僕も、誰かを誘うコミュニケーションは苦手です。意気込まないといけない。僕にとっては、これが結構なハードルです。だから、場を用意して、その中でやりとりを楽しむ方が気楽です。そうゆう人は、他にもいるだろうと感じています。

大谷:いるだろうな。むしろ、多数だと思うけどな。

ー 僕ら大人の部(現ゆるゲ)では、ゲームをやらない人でも、帰りにちょっと寄り道をしていきませんか?気が付いたら家と職場の往復になっていたという人達も対象に、僕らと少し時間を共有していきませんかと参加者を募っています。軽めのゲームを中心に揃えているのは、そうゆう理由です。

大谷:コミュニケーションというのは、それ自体を目的にしちゃうと非常にやりにくいですよね。コミュニケーション系のゲームというのは、ゲームという体裁をとる事で、あなたと交流したいという目的を隠してくれる。ゲームの目的を目指せば、自動的に本来の目的の交流を成し遂げられる。やっぱり、そこを名指して、あなたと交流したい、交流しませんという言い方は、嫌らしく響くというか。まあ、当然断られたら傷つくし。

ー 傷つきますよね。

大谷:コミュニケーション系ゲームを誘って、断られたら、まあしたくなかったのかなで済む。

ー 僕は、ゲームをツールだと思っています。もちろん、ゲームをするのは好きですけど。でも、ゲームを通して、効果として測定できるような何かが生まれると思っていない。人によっては、療育で使う人もいるけど、僕らの団体は余暇が充実する為のツールとして捉えて活動しています。余暇を楽しむ事は、優先順位が下げられてしまうけど、そうゆう場は必要だと思います。

大谷:余暇も役立つ余暇にどんどんなっていっているからね。役に立たない余暇にしていかないといけないですよね。

ー それは、僕らの能力では難しいかもしれない。それに、役にたつ/役に立たないという視点では考えていません。さっきの居場所の話に戻りますけど、居場所は、複数あってもいいと思っています。1つの居場所が全てを引き受けるのは、運営する人もしんどくなってしまう。居場所も様々な形態があって良くて、目的もそれぞれで良い。その中で、自分に合う居場所を見つけられたら良いと思います。初日の夜に、「居場所」のワークショップをやってもらったじゃないですか?あの時に、居場所と感じる要素は、参加した人によって異なっていました。だから、誰もが満足する居場所はない。まあ、「みんなのゲームクラブ」という名前を謳っていますけど。ボードゲームが好きな人は好きな人同士で集えばいい。それが、その人達の居場所になっているはずだと思います。

大谷:ただ、居場所は目的に付随して生じるものですよね。基本的には。学校が居場所というのは、学校が勉強するところで、勉強する為にみんながあつまって、空間を同じくして、それが副次的に居場所という機能を果たしている。会社にしても同じで、ゲームクラブもそうだし、ゲームをするという目的で集う事によって副次的に居場所としての機能が果たされる。副次的なものを主目的にしてしまうと、たぶんおかしくなってしまう。

ー 確かにそうですね。

大谷:交流する為に交流しましょうみたいな感じ。僕らのスタイルは、単に生活している所を開いているだけなので。いやーなんか、おかしくなってきたぞ

ー 偶然発生的な物、主目的に沿ってないものは、必ず生まれますよね。それを、許容するのが居場所の重要な要素だと感じます。主目的が楽しみな人もいるだろうし、副次的なものを楽しみにしている人もいる。余暇も同じだと思っていて。余暇の場があるから仕事頑張れるという人もいるだろうし、ゲームをする事を楽しみにしている人もいるだろうし、誰かと会う事を楽しみにしていう人もいる。

大谷:ただ、なんか余暇を満喫するぞという言い方は、なんか変だよね?

― その言い方は、僕らはあまり用いないですね。

大谷:結果的に余暇を満喫されているもので。満喫しようと思って、満喫できるものではない。

― ないですね。結果的にですね。

大谷:結果を導くために「ゲームをしようぜ」と言って、ゲームしていると、最終的に余暇を満喫したという事態に陥っている。

― そうですね。ゲームはツールだと認識していながらも、「ゲームを楽しみたい」という気持ちはある。手段を達成するための道具とは見てないけど・・・これは答えがでないですね。お互いの宿題にしましょうか。

大谷:そうだね。


次回の更新をお待ちください。


みんなの居場所HP:https://potpot.localinfo.jp/

大谷直史さん(鳥取大学 教育支援・国際交流推進機構 教員養成センター 准教授)
北海道大学教育学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は、社会教育学、 環境教育学。他者理解やコミュニケーション促進のツールとしてボードゲーム の開発・作成を行う。鳥取市に「みんなの居場所『ぽっと』」を設立、不登校の 子どものケアや子ども食堂の運営など、長年にわたり子どもの居場所づくりを 行っている。「ヒトトイロ」というボードゲームのデザイナーでもある。

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