2020年4月20日月曜日

「上手に話すことより、楽しくはなすこと」~加藤浩平さん(コミュゲ研)インタビュー(3/3)

現在YokaYokaでは、余暇支援に携わっている方(主に余暇、遊び、居場所)を中心に、「明日何しようかな~余暇支援に携わる方へのインタビュー」と称して、お話を聞かせて頂いております。

今回で、加藤さんのインタビューは最後になります。

1回目のインタビューでは、加藤さんが余暇支援に関わるきっかけを中心にお話を聞かせて頂きました。
「まあ、1回ぐらいなら」と参加したTRPG 続けているうちに参加者に!!~加藤浩平さん(コミュゲ研)インタビュー(1/3)~ 

2回目のインタビュー記事では、ASD児を取り巻くコミュニケーションの環境を中心にお話を聞かせて頂きました。
余暇活動の場で聞く彼らの息苦しさ その中で感じた余暇の重要性~加藤浩平さん(コミュゲ研)インタビュー(2/3) 

3回目となる今回は、余暇支援の現場で意識をしている点や大事にしている点をお話して頂きました。そして、最後に加藤さんが代表と務めるコミュゲ研の今後の活動についてもお聞きしています。

支援する側・支援される側の関係ではなく、一緒に楽しむ仲間でありたい

― 余暇活動支援の中で意識している点はありますか?

加藤:色々ありますが……1つは教育的にならないという事でしょうか。教えたり、諭したり、指導したりしない。一般的に人には教える欲というものがあって、意識していないとつい出てきてしまう。

― まあ、シャア・アズナブルも言ってますね。俗人は、つい自分はこう言う人を知っていると言いたくなる癖があるといったことを……

加藤:もっというと、上の立場から、マジョリティの常識という物差しで、子どもの発言や行為を「それは好ましい行動」「それは良くない行動」と言っていたら、たぶんそこで面白くなくなる。ボランティアで手伝いに来てくれる方の中には、特別支援教育を学ぶ学生や、現役の学校の先生やスクールカウンセラーなどをされている方もいますが、TRPGの中で「そこはそうせずに仲良くした方がいいんじゃないかな?」とか「(敵のモンスターが)かわいそうだからやめてあげなよ」という言い方をする人もいて、なんて言えばいいのか…。

― 諭すような感じの?

加藤:そうですね。つい大人から見て好ましい行動を取らせるような、言うなれば学校教育的な指導になってしまう、そうすると、子どもの中には「ここも学校と同じか」と冷める子もいるし、または無理に適応してしまい自分らしさが出せなくなる子も出てくる。ボランティアの方も良かれと思ってやっていることなのですが、なるべくそういう教育的な関わり方ではなく、同じTRPGやゲームを楽しむ仲間として関わって欲しいとお願いしています。その上で、余暇を共に楽しむ仲間として好ましくないと思ったら、「そういう言い方はやめて欲しい」というのは構わないと思います。言うべき時は言う。特別扱いしない。

― 加藤さんの余暇支援の話を伺っていると、一緒に楽しむということを非常に大事にされているように感じます。支援者的立場にならないとかいう……そういった事は常に意識されているんですかね?

加藤:支援する側・支援される側の関係ではなく、一緒に楽しむ仲間でありたいと思います。その中で、関わる側が時として人生の先輩として語るときもあれば、時として子どもに教えを受ける立場にもなったり。たとえば「趣味トーク」という活動では、参加する子どもたちは、自分の好きなものを持ってきます。

― この前のYokaYokaでの講座でも内容を紹介してもらいました。

加藤:子どもたちの「好きなもの」に対する情熱はすごいです。以前「趣味トーク」に参加した女の子は『文豪ストレイドッグス』というアニメが好きで、中でも中原中也が推しで、中也の詩は全部暗唱できると言ってました。

安心と安全が保障されている中でこそ、自分らしさを出せるし、素で過ごせる


- かっこいい! 「汚れちまつた悲しみに」とかですよね?

加藤:僕より遥かに詳しいので、色々と教えてもらっていました。そこで交わされているものは、一方的な指導とか支援じゃないんですよね。とにかく、一緒に楽しむし、僕も話すけど、子どもからも教わる。上から目線でやっていたらできないです。好きなものを熱く語ってもらうのに、支援者が上から目線でいたら話が進まないというか、気持ちよく話せませんし、そもそも楽しくない。「楽しく話すこと」を一番大事にしています。楽しいから、自発体にしゃべる。同時にそのポジティブさがあるので、周囲もその話を面白く聞きたいと思って耳を傾ける。「上手に話すことより、楽しく話すこと」というのは、藤野博先生の著書の引用ですけど、私のような会話を扱う余暇活動支援の中で、とても大事にしているコンセプトです。世間一般は、つい「上手に話すこと」を求めてしまうきらいがあるので。

― 本とかもそうですよね。これで変わるあなたのコミュニケーション、みたいな感じの本が多いですよね?

加藤:私自身も、その手の本は苦手ですね。それで変わるか変わらないかよりも、「コミュニケーション」という他者との関係性の中で行われるものを個人の訓練でなんとかしなきゃいけない思わせてしまう社会の風潮が息苦しいです。僕はコミュニケーションの研究者ですが、そんなにみんなが上手なコミュニケーションをしなくて良いと思っています。仕事などであれば、求められる情報を伝えるコミュニケーションは必要だと思いますが、今の世の中には、必要な情報を共有するコミュニケーションというより、何となくなれ合うというか、その場をやり過ごすというか、そんなコミュニケーション力が集団の中で求められてしまうときがある。コミュニケーションは大事だけど、周囲が「このコミュニケーションに参加しろ」と強要するべきことでもないと思うし、上手じゃない(というかその集団で多数派に合わない)コミュニケーションを「コミュ障」と蔑んで負の価値づけをするべきでもないと思います。

― 「空気を読む」という言葉が出てきたのが、まさにそれですね。象徴的な言葉だと思います。

加藤:知り合いのある芸人が「空気なんて見えないものは読める訳ない」と断言していましたが()、空気を読む・読まないで悩むぐらいなら、それぐらい吹っ切れても良いと思います。「空気」って、その集団で多数派なだけで、場所が変われば価値も変わります。あと、余暇支援の中で大事にしていることは、安心・安全ですね。安全は、もちろん事故がないようすることも含めてですが、子どもたちは安心と安全が保障されている中でこそ、自分らしさを出せるし、素で過ごせるので、余暇の場として大事なことだと思っています。それから、安心・安全に関連して大事にしていることは、「相手を否定するような言葉や態度はしない」という約束はしています。そこだけ指導的になってしまいますけど、もし参加者の子どもが他の子の好きなものを否定するような言葉を使ったら、「それは絶対やめて」と言います。事前にも約束事として伝えます。「趣味トーク」であれば、自分の好きなものを、安心して語り表現する、TRPGであれば、自分で作ったキャラクターを通じて物語に参加するという部分を否定しない。そこを否定することを許す環境にはしないようにしています。以前、「趣味トーク」に参加してくれた子が「ここが自分にとってのオアシスだ」と言ってくれました。やはり、余暇活動の場が彼ら・彼女らにとってホッとできる場所であることは重要だと思っていて、安心して子どもたちが過ごすことができる環境調整やファシリテートはしています。


コアはコミュニケーション障害よりも、ASDのある人に特有の認知・感覚特性というもので、それらの特性が他者との関わりにも影響している


― 「コミュゲ研」のTwitterで、余暇に関して発信する時に、他者の存在を重要視していますよね? コミュニケーションで言えば、僕が以前読んだ本の中に、1人で喋っている事は独り言だけど、他人がいるとそれは語りになるというのを見て。僕は他人によって変わるものはあると思っていますが、加藤さんは、余暇において他者の存在は意識されていますか?





加藤:他者がいるからこそ語りになるというのは、僕もそう思います。知的障害や発達障害のある子どもたちの余暇支援の研究者の中には、1人で過ごす余暇活動や彼らが学習や就労以外の時間を適切に過ごす余暇スキルを身につけさせる支援を重視していている方もいて、僕が取り組んでいるTRPGや趣味トークに対して、1人で過ごすことを好んでいる自閉症のある人を無理矢理(本人が望んでいないのに)集団に参加させているんじゃないか、と批判されることもあります。

― 加藤さんが批判を受けるということですか?

加藤:受けることがありますね()。僕ももちろん一人で過ごす時間も大切だと思っています。人と交流する余暇活動を第3の場と呼ぶ一方で、一人で家族にも邪魔されずにリラックスして過ごす場を「ゼロの場」と呼んでいます(どの「場」も人が生きるのに不可欠なものです)。一方で、海外の研究者による成人のASDの方を対象にインタビュー調査では、ASDの人たちも同世代との仲間との活動を求めているという報告があります。また、国内でも世田谷区で発達凸凹のある若者たちを対象に余暇活動を展開している「みつけばルーム」が、利用者さんを対象に実施した調査でも、「みつけば」の活動に参加して良かったこととして「対人」、つまり人との関りがあったという部分に言及している人が半分以上いたそうです。僕自身も余暇活動の研究をしながら、発達障害のある10代の子たちは、他者との関わりができないのではなく、他者との関わり方や距離の取り方が分からなくて悩んでいたり、本人がよかれと思ってやっていることが、相手と合わなかったりして、それらの失敗体験が積み重なって、他者との関わる意欲が落ちてしまっているように感じています。僕はASDのある人の社会的コミュニケーションの障害という面に関しては、障害のコア(核)ではなく、ある意味で二次障害のようなものだと思っています。

― 不登校とかと同じということでしょうか。

加藤:不登校と一緒がどうかは分かりませんが、コアはコミュニケーション障害よりも、ASDのある人に特有の認知・感覚特性というもので、それらの特性が他者との関わりにも影響していると考えています。例えば、認知特性の違いのような部分が背景にあって、11のコミュニケーションは問題ないけれど、3人以上になると、どこに焦点を当てれば良いか分からず、意識が拡散して、話も聞き逃してしまったり、一生懸命集中して聞いて、凄く疲れてしまったりする。あとは対人関係での失敗の印象が強く残ってスルーできない。実際そういう体験を話すASD当事者の方もいます。そういう日常の中では、コミュニケーションの方法を会得し成功経験を積み上げるのは難しいと思います。その結果が、コミュニケーション障害と出ているのであって、コアな部分は社会的コミュニケーションの障害というものとは別にあると思ってコミュニケーション支援の研究をしています。だから、訓練型の支援よりも環境調整がベースにして子どもたちと関わっています。なお、環境という面で見れば、他者も環境の一つなんですよね。

- なるほど!

加藤:環境の1つである他者とのやり取りから人は多くのことを学びます。なので、余暇活動において他者(スタッフ)の存在は大切だと思っています。TRPGや「趣味トーク」などの余暇支援の場でも、大学生などのボランティアスタッフに子ども集団の中へ入ってもらっていますが、そこでの関係は平等(同じ活動を楽しむ仲間)であると同時に、子どもたちにとっての将来像のモデルにもなっていると思います。「社会人として活動しながら、TRPGやアニメ・漫画・ゲームを趣味にしている人生の先輩」という形で。まあ、他者が環境の1つというのは、余暇活動に限った話ではないですが(たとえば、教室においては、学校の先生方の存在も環境の一つですし)。

― まだまだ、お話聞きたいのですが、時間が来ちゃって……最後に加藤さんの今後の余暇活動支援の展開について教えてください。

加藤:最近は、これまで介入研究的に実施していたTRPGなどの余暇活動支援を、「特別な場所でできる特別な活動」で終わらせるのではなく、コミュニティ(地域)の中で楽しめる余暇活動に広げていこうと思っています。都内のTRPGカフェやボードゲームカフェを利用したり、地域の発達障害の子を持つ親の会主導の会で実施したり、という取り組みを数年前から進めています。実際に、私たちの余暇活動に参加しているASDのある子の中には、TRPGのゲームマスターになったり、TRPGカフェやボードゲームカフェに自ら遊びに行ったりして、余暇を自主的に楽しんでいる子もいます。あと、子どもたちと一緒にTRPGなどの余暇活動を遊んでくれる協力者を「双方向」から募集することを始めています。双方向というのは、「特別支援支援にかかわる人たちの中で、TRPGに関心のある方々にTRPGを知ってもらう」というのと「TRPGを趣味としている方々の中で、子どもたちとのTRPGに関心のある方々にプレイヤーまたはGMとしてご協力いただく」というそれぞれの立場から協力者を募集するという。発達障害や発達凸凹のある子どもたちと一緒にTRPGという冒険に同行してくれる人たちを増やしたいと思っています。『指輪物語(The Lord of the Rings)』から言葉を借りて「『旅の仲間』プロジェクト(The Fellowship of the RingFoR Project)」と名付けて、今後も定期的なTRPG体験講座および、支援プレイヤー講座等の企画を検討しています。それらの活動は、「コミュゲ研」のTwitterFacebook、あと、東京学芸大学の藤野研究室で取り組んでいる「日曜余暇プロジェクト」(通称「サンプロ」)のホームページなどでも紹介していきたいと思っています。

- まだまだ、話したいのですが、お時間になってしまいましたのでまた機会があったら、お話をききたいと思っています。今日は、本当にありがとうございました。

加藤:ありがとうございました。

加藤浩平(かとう・こうへい)さんプロフィール
東京学芸大学教育学部研究員・非常勤講師、教育学博士。編集者として専門書(心理・教育)の企画・編集に携わりつつ、発達障害のある子どもや青年たちの余暇活動支援・コミュニケーション支援の研究に取り組んでいる。著書(いずれも共著)に、『自閉スペクトラムの発達科学:発達科学ハンドブック10』(新曜社)、『発達障害のある子の社会性とコミュニケーションの支援』(金子書房)など

2020年4月11日土曜日

余暇活動の場で聞く彼らの息苦しさ その中で感じた余暇の重要性~加藤浩平さん(コミュゲ研)インタビュー(2/3)

現在、YokaYokaでは、余暇支援に携わっている方を中心(主に余暇、遊び、居場所)に、「明日何しようかな~余暇支援に携わる方へのインタビュー~」と称してお話を聞かせて頂いております。

前回は、コミュゲ研の加藤さんが余暇支援に関わり始めたきっかけを中心にお話を聞かせて頂きました。2回目となる今回は、ASD児をとりまく環境やコミュニケーションを中心に関するお話を聞かせて頂きました。

前回のインタビューの内容は、下記からご覧いただけます。

「まあ、1回ぐらいなら」と参加したTRPG 続けているうちに参加者に!!~加藤浩平さん(コミュゲ研)インタビュー(1/3)~

そもそもコミュニケーションそのものを楽しむということ、「人と話すって楽しいな」と子どもたちに思ってもらえるようなものを、どう子どもたちに伝えるか・体験してもらうか、ということが重要


― 加藤さんは、発達障害のある子のコミュニケーションを促進するTRPGの中の要素の1つとして「柔らかい枠組み」を挙げていますね。それが、いわゆる環境調整という面に近いと思いますが、どうしても、自閉症や発達障害のある子への支援はSST等の訓練的なプログラムをこなしていくというのが多いですね。



加藤:発達支援・特別支援の観点から見て、TRPG には参加者相互の会話を促進する要因がある、と思っていて、そのことは論文や書籍などでも紹介しています。ルールなどの「柔らかい枠組み」はその1つです。ほかに「キャラクターを介しての間接的なコミュニケーション」「役割(ロール)の明確さ」などがあると考えています。話を戻すと、特別支援教育の分野では、長年にわたりコミュニケーショントレーニングやSSTなどの訓練型の支援がメインになっているとは思います。何かしら「これが正解、望ましいやり方」というものを教えこむというか。正しい挨拶の仕方とか。それ自体を全て否定はしませんが、同時に、そもそもコミュニケーションそのものを楽しむということ、「人と話すって楽しいな」と子どもたちに思ってもらえるようなものを、どう子どもたちに伝えるか・体験してもらうか、ということが重要だと個人的には思っています。これは私の師匠でもある東京学芸大学の藤野博先生から聞いたエピソードですが、ASDの子にSSTを療育機関で実施したとき、その子が療育の場でも家でも教えられた通り挨拶ができるようになって、療育スタッフもお母さんもその子を褒めながら、「学校でもやってみようね」と言ったら、その子が、「え、学校でもやらなきゃいけないの?」と言ったという……専門的な言い方では「学んだ行動の般化ができない」とか言うかもしれませんが、僕としては、要するに(学んだことを)使いたいと本人が思えるかどうかが大事だと思っています。

― だから、発達障害のある子たちの余暇活動の中でのコミュニケーションの体験が大切だということでしょうか。



加藤:少し話が飛びますが、僕が、TRPGや「趣味トーク」という余暇活動に取り組んでいる中で大事にしていることは、子ども自身が、本人のしゃべりたいことをしゃべる体験を保障することです。それらの場でのやり取りは、もしかしたら、周囲の大人が望んでいたり期待したりしている表現方法や内容ではないかもしれないですが。ただ、僕は、子ども本人が「話したい」という想いをベースに会話する体験を積み上げていくほうが結果として、彼ら・彼女ら自身が使える表現を自分で選べるし身に付くと思っています。本人がモチベーションを維持できないコミュニケーションは、無理に使っても不自然になるし、付け焼刃的になるように思います(一方で、「本人らしくない・ある意味で不自然なコミュニケーション」が必要な場も社会の中にはあるとは思いますが)。

― よく「学校ではできてます」と言われることを、家に全く持って帰ってこないというのは、本人が使いたいと思ってないのだろうなと。

加藤:子ども自身のモチベーションもあると思います。TRPGに参加した子の親御さんの話を聞くと、TRPGでどんなことがあったかを報告する子が結構います。親に伝えたいと思う活動だから家に帰ってから話すんでしょうね。もちろん、話さずにTRPGで楽しんだ物語を自分の中でだけ味わっている子もいます。

― 本人の「伝えたい・楽しい」といった気持ちを大事にしていく中で、楽しみながらコミュニケーションをするという点では、TRPGはとても良かったわけですね。「趣味トーク」もそうですよね?

加藤:本人が(上手に話すよりも)楽しく話すことを大事にした活動、という意味では、TRPGも「趣味トーク」も、障害の有無に関係なく非常に良い活動なんだろうなと思ってやっていますね。

その子が変わり、本人が安心して、自分らしく何かを表現できれば、それがその子の生きる糧、エネルギーになる



― コミュニケーション支援の方から入って、様々な気づきがあったというのはお聞きしてわかったのですが、加藤さんはコミュニケーション支援の専門家であると同時に余暇支援の研究者でもありますよね? 余暇支援というのは、どういった経緯で取り組もうとか、研究しようと感じたのですか?

加藤:僕は専門書の編集者を生業としていますので、学校教育の現場には関われず、子どもと関われるのは土曜・日曜になります。それで、必然的に余暇活動支援になった、というのはあります。ただ、だから余暇活動支援の研究をしたというのではなく、余暇活動という場で発達障害のある子どもや若者たちと関わる中で、ふと彼らが呟く学校や家庭で感じている息苦しさを聴くんですね。「ここ(余暇活動の場)だと、クラスメイトや家族の目を気にせずに好きなことがしゃべれる」と言った子もいます。そんな中で、学校でもない家庭でもない、余暇活動という場の重要性を感じました。

- YokaYokaの講演会でも仰っていた「第3の場」ですね。

加藤:あと、従来の問題を抱えている子の認知を変えるとか問題行動を減らす・なくすという介入方法とは別の方法で、発達障害のある子が社会にアクセスする方法を模索したい、というところもあります。個人が変わる支援というのは、成人の方であれば「就労のために必要」ということでご本人にモチベーションがあるし、就学前の子であれば、お母さんに連れてこられたから参加するということがあるかもしれませんが、思春期や10代の子どもたちがモチベーションを維持するのは中々大変だと思います。


 例えば、ASDの診断があるA君がいわゆる普通の子と言われるB君とコミュニケーション面でのトラブルがあった時に、先生がA君だけを取り出して、「君はみんなと仲良くする為にコミュニケーションの練習しようね」と言ってもA君は納得するだろうか、と思います。僕がA君だったら、「なんで僕だけがそんな支援を受けないといけないのか?」と感じると思います。あくまでも細かい背景を無視しての例えですが。以前YokaYokaで講演会をさせていただいた時にも引用しましたが、東京大学先端研の研究員でASD当事者の綾屋紗月さんが「コミュニケーションは両者の間に起きるものなのに、なぜそれをコミュニケーション障害という診断名をつけて、片方のせいにできるのか。一体、誰がこの状況に困って診断名を付けているのか」と仰っていますが、私も同じことを感じています。


綾屋紗月さん関連のおすすめのリンク
【音声配信】発達障害啓発週間、イチから知ろう発達障害▼綾屋紗月×熊谷晋一郎×荻上チキ▼2019年4月8日(月)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」平日22時~)


― それは、僕も、現場にいて感じますね。評価する側が使う言葉としては、便利な言葉だなと。その代わり、コミュニケーションという双方で作っていくものが、結局自分に責任がないという……相手を責めるための便利な言葉になっているというのがあって。阿部利彦先生の本の中で、こっちが変わっていけば、向こうも歯車が連動するように変わっていくというのが、現場では中々伝わらないというのはあります。

加藤:実際には、他人を変えるより、自分が変わるほうが労力は少ないんですよね。もちろん、自分を変えることだって楽ではないし、大変ですが……話を戻しますと、そもそも、「子どもの問題行動を直す」という考え自体が、僕の中にあまりなく、むしろ、環境が変わることで(この場合の環境は周囲の大人たちという人的環境も含みます)、その子が変わり、本人が安心して、自分らしく何かを表現できれば、それがその子の生きる糧、エネルギーになるのではないかと思いながらやっていて、それが結果として余暇活動支援という形になっている、というところもあります。

― 取材がきっかけでボランティアスタッフになり、その中での活動を通じて疑問に思ったことを研究したり実践したりしていったら、余暇活動支援という言葉が適切だった、という感じでしょうか?

加藤:そんな感じですかね……自分がやっていることをどの言葉で表わすか模索していたら、そこ(余暇活動支援)に着地したというか。

次回の更新をお待ちください。(2020 5/16更新)

加藤浩平(かとう・こうへい)さんプロフィール



東京学芸大学教育学部研究員・非常勤講師、教育学博士。編集者として専門書(心理・教育)の企画・編集に携わりつつ、発達障害のある子どもや青年たちの余暇活動支援・コミュニケーション支援の研究に取り組んでいる。著書(いずれも共著)に、『自閉スペクトラムの発達科学:発達科学ハンドブック10』(新曜社)、『発達障害のある子の社会性とコミュニケーションの支援』(金子書房)など



加藤さんが代表を務める団体のHP:サンデープロジェクト




2020年4月4日土曜日

「まあ、1回ぐらいなら」と参加したTRPG 続けているうちに参加者に!!~加藤浩平さん(コミュゲ研)インタビュー(1/3)~

現在、YokaYokaでは、余暇支援に携わっている方を中心(主に余暇、居場所、遊びに携わる方)に、「明日何しようかな~余暇支援に携わる方へのインタビュー」と称して、お話を聞かせて頂いています。

余暇支援に携わっている方のきっかけやエピソードを知る事により障害福祉や教育に関わる1つの方法として"余暇支援"を選択肢として思い浮かべて頂けたらと思います。

1回目のインタビューは、コミュゲ研の加藤浩平さんにお話を聞かせて頂きました。コミュゲ研の加藤さんは、2019年の10月5日、2020年の2月2日と計2回YokaYoka主催の講座「TRPGで楽しくコミュニケーション」で講師を務めてくださいました。講座では、コミュゲ研で行っている、TRPGを通した発達障害の子どもや青年のコミュニケーション支援についてのお話と実際にTRPGの体験を行いました。

TRPGとは
"TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)とは、複数名で集まってテーブルを囲み、参加者同士の会話のやり取り(コミュニケーション)で架空の物語を進めていく「会話型ゲーム」の総称です。『ドラゴンクエスト』などのコンピュータのRPGのシステムや世界観はTRPGが元になっています。ただ、TRPGは基本的にコンピュータを使用しません。代わりに、紙と鉛筆、ダイス(サイコロ)、そしてルールブックを使用します。


 加藤さんのインタビューを3回に分けて、YokaYokaのブログにて掲載していきます。非常に興味深いお話が聞けたので、是非最後まで目を通して頂ければ幸いです。

「売れてよかった」という思いと別に、「なんで、こんなに売れたのか?」ちょっと納得いかないところがあって・・・


― 最初に、加藤さんが余暇支援をはじめたきっかけを教えて頂けますか?

加藤:そもそも発達障害の世界に関わり始めたのは、編集者としての取材でした。当時は発達障害者支援法(2005年施行)が成立する前で、自閉症のある子どもたちの親の会や通級指導教室や特別支援学級、特別支援学校、精神科クリニック、療育施設、作業所などの福祉施設を取材しているうちに、親の会や支援団体が土日に行っている余暇活動をボランティアで手伝うようになっていました。

― Twitterに掲載されていたサンタ役も、そのボランティアの1つですか?



加藤:クリスマスの時期はいくつかの取材先でサンタを頼まれ、節分の時は鬼の役もやりました。お菓子作りのワークショップでドラえもんもやったし、夏のキャンプファイヤーでご当地ヒーローに倒される怪人の役もやりました()。もともと子どもたちに楽しんでもらうことが好きな性分なんでしょうね。

― 元々、お勤めの出版社は、特別支援などの専門ジャンルの本を編集する出版社ですか?

加藤:心理・教育領域を専門とする出版社です。ただ、当時は特別支援教育や発達障害の書籍の企画はあまりなかったです。また特別支援教育や発達障害に関わる専門家も限られていて、中には「障害児教育は福祉分野だから関係ない」「発達障害は本人が努力したくないだけ」「親の言い訳」という専門家もいました(今もいますが)。

― それが、発達障害者支援法をきっかけに変わった?

加藤:意識され、情報が求められるようになりましたね。あと、ほぼ同じ時期に自分が編集担当の雑誌で、「通常学級の中の発達障害のある子の支援」についての特集を組んだのですが、それが予想以上に好評を博し、その年の売り上げナンバーワンの号になりました。

― その特集は、加藤さんが企画をしたんですか?

加藤:いえ()。僕は、当時発達障害のことは全く知識がなくて、たまたま担当したというか……ただ、僕の中で「売れてよかった」という思いと別に、「なんで、こんなに売れたのか?」ちょっと納得いかないところがあって。

― 腑に落ちないみたいな?

加藤:ですね。で、その特集で巻頭言を書いてもらった日本自閉症協会会長(当時)の石井哲夫先生(故人)に刊行後の打合せで聞いたんですね。「なんであんなに売れたんですかね?」って。いま考えると失礼千万です()。そこで石井先生に「担当編集者なのに不勉強だ」と怒られていれば、それ以上関わることも無かったと思いますが、石井先生は、「加藤さん、不思議に思うなら、一度自閉症の施設や親の会を見学してみますか?」と仰って……石井先生に誘われるままに、福祉施設や親の会に見学に行き、その先でお会いした先生や親御さんに、また別の施設や学校を紹介してもらい……としているうちに深く関わるようになりました。同時にボランティアもするようになりました。といっても、自閉症のある子どもや青年たちと遊んでいただけですが。スーツ着たまま子どもたちとツリークライミングやったりバーベキューしたり水鉄砲の撃ち合いをしたりしてたら、主催者の親御さんから「うちの息子たちも変わり者だけど、あなたも相当変人よね」と本気で呆れられました。

― いや、とても素晴らしいと思います()

加藤:まあ、ボランティアやるときには、手を抜くことはなかったですね。何分こちらは編集者という支援のド素人です。半端な気持ちで関わっても、一緒に遊んでいる子どもたちに見抜かれると思って、とにかくボランティアだからこそ全力でやっていました。


「まあ1回ぐらいなら」と思って、参加したTRPGのグループ 続けていく内に参加者に!!



― TRPGも、そういったボランティアから始めたのですか?

加藤:そうです。アスペルガー症候群(AS)の成人の方々の余暇支援をされている団体を取材したとき、そこは、いくつかのグループに分かれてめいめいに時間を過ごす活動でしたが、その中にたまたまTRPGやっているASの青年たちがいました。団体の代表の方は「私たちはTRPGが分からなくて、スタッフも活動に入りにくいんです」と困っていたので、「私、TRPGわかりますよ」と言ったら、代表の方が「何ですって!」目を輝かせて()

― それで、ボランティアが始まったんですね。ところで、加藤さん自身はいつ頃からTRPGをされていたのですか?

加藤:初めてTRPGに触れたのは小学生の頃ですね。『ダンジョンズ&ドラゴンズ(DD)』の最初の版、いわゆる「赤箱」の世代です。最初は、友人の家や学校の教室や屋上でクラスメイトとやっていました。プレイしていたのはほとんど『D&D』で、あとは『クトゥルフの呼び声』のボックス版や、『ストームブリンガー』のボックス版とか…言ってて懐かしくなるな()。話を戻すと、その団体のスタッフさんにお願いされて、「まあ1回ぐらいなら」と思って、TRPGのグループに参加しました。グループのAS青年たちも、外部から来た編集者だけどTRPGを知っているということで、温かく迎え入れてくれて。その時に遊んだシステムは私の知らないルール(たぶん「ダブルクロス」だったと思う)でしたけど、彼らにアドバイスしてもらいながら、何とか遊ぶことができました。そうしたら、ゲームマスターをやっていた青年が、「加藤さん、来月もきてくれますか?」と聞かれたので、せっかくお誘いいただいたので、「じゃあ、来月も来ます」と答えたんですよ。この辺りから、取材者というよりも…。

― 参加者ですね。

加藤:ま、完全に「参加者」です()。で、その後は私がゲームマスターをやったりもして、いつの間にか常連のボランティアスタッフになっていました。そこでスタッフとしてTRPGASの青年たちと遊んでいるうちに、ふと気が付いたことがありました。その団体の活動は、めいめいにグループに分かれて活動する前の準備時間があるんですけども、その時に、TRPGに参加している青年たちは携帯をいじりながらソファーでピョンピョン跳ねていたり、スタッフ相手に自分の好きなネット動画の話を一方的に話し続けたり、他の利用者さんへの苦情をスタッフさんにこれまた一方的に話し続けてたまに大声を上げたり……スタッフさんも大変そうでした。

これはASDのある人のコミュニケーション支援の面で結構重要なことが起きているんじゃないかな 


― わかります。僕も経験があるので。

加藤:ところが、そういった青年たちが、TRPG活動の中では、しっかり「やりとり」ができている。人に行動を注意されてもカッとならずに笑い飛ばす。中には、「いや、今のは『プレイヤー発言』です」とか一歩引いた発言もできる。TRPGとしては、むしろ面白い物語が毎回展開されている。TRPGを遊ぶたびに、「ASDって社会性とコミュニケーションの障害、想像力の障害と聞いていたけど、話が違うぞ。これって、何だろう?」と思って……すみません。余暇の話じゃなくて、TRPGの話になっていますね。

― 大丈夫です。

加藤:すみません……で、TRPGの中で起きているASD青年たちの変化を見て、「これはASDのある人のコミュニケーション支援の面で結構重要なことが起きているんじゃないかな」と思いました。ただ、文献を調べてみてもTRPGそのものを研究されている人はいても、教育や支援の現場での実践、とくに発達障害に焦点を当てて研究をしている人はほとんどいなかった。

― 取材をしていく中で、子供たちと一緒に遊んだりする機会が多く、その中で加藤さんとしては徹底的に付き合っていくというスタンスで、相手の事を知るために続けていった。そして、成人グループの取材に行った時に、TRPGをやっている青年たちがいて、彼等は普段はピョンピョンしたりしているのに、TRPGをやっている時に、イキイキと楽しみながらやりとりをしていたという事ですよね?


加藤:あ、もちろん、「ピョンピョン飛び跳ねる」などの行為自体は悪いことではなく、彼らにとって大切な行為だと私個人は思っています。実際、TRPGのときも嬉しいときは椅子で飛び跳ねている時もありました()。ただ、その嬉しい気持ちを、TRPGを通じてグループで共有していた。行為や発話が個人で完結せず、他者との交流につながっている。そこに面白さと不思議を感じました。で、その団体でTRPGをやっていることを聞いた他の専門家の先生たちから、「うちでもやって」と依頼されるようになり、今度は医療機関とかフリースクールなどでも、発達障害の子どもたち(小学生~中学生)とTRPGを遊ぶようになりました。そこでも、周囲で見ている先生方やスタッフさんに「○○君、TRPGを始めてから随分変わりましたよ」と言われて…。

― それは、子供たちの行動が変わるっていう事ですか?それとも、ある意味成長的な意味を込めて変わったという感じですか?

加藤:発達面の変化もあると思いますが、その先生方が仰っていたのは行動面の変化ですね。普段一方的に喋っているような子が、人の話を聞いてから話すようになった、とか。まあ、TRPGは一人が一方的に喋っても物語が進まないですからね。子どももゲームマスターや他のプレイヤーの話を聞いて話をしないと物語が進まないとわかれば楽しむために自然とそうします。そこがソーシャルスキルトレーニングなどの訓練ベースの支援と違うところだと思います。自分が楽しむために、相手の話を聞くようになる。

次回の更新をお待ちください。(4/11更新)
余暇活動の場で聞く彼らの息苦しさ その中で感じた余暇の重要性~加藤浩平さん(コミュゲ研)インタビュー(2/3)



加藤浩平(かとう・こうへい)さんプロフィール

東京学芸大学教育学部研究員・非常勤講師、教育学博士。編集者として専門書(心理・教育)の企画・編集に携わりつつ、発達障害のある子どもや青年たちの余暇活動支援・コミュニケーション支援の研究に取り組んでいる。著書(いずれも共著)に、『自閉スペクトラムの発達科学:発達科学ハンドブック10』(新曜社)、『発達障害のある子の社会性とコミュニケーションの支援』(金子書房)など

加藤さんが代表を務める団体のHP:サンデープロジェクト


2020年4月2日木曜日

4月の「みんゲ」の開催は中止いたします。

こんにちは。

YokaYokaの前田です。

新型コロナウイルスの感染者が、東京を中心に増加しつつあります。

国が一つの方針として、「3密」の状態を避けるようにという表明されました。

3密とは、「密閉空間」「密集場所」「密接場面」の3つの密がついた言葉をさします。


私たちにできることは、この3つの条件が重なる場所を避けられるだけ避けて、新しいクラスターを作らないことです。私は3つの条件をぎゅうぎゅう(手の届くところに大勢の人)、むんむん(密閉空間で換気がわるい)、がやがや(近距離で会話や発声)と覚えています  
                    新型コロナウイルス感染症まとめ(yahoo japan)


みんゲで行われているボードゲームやカードゲーム等の類は、上記の3密の状況を避けて実施する事が難しいことから、4月のみんゲの開催は見送らせて頂く事にしました。

対象となるイベントは、下記の日程です。

4/5(日) @静岡市番町市民活動センター 中会議室 13:30~16:00

4/12(日) @静岡市清水市民活動センター 第1会議室  13:30~16:00


また、4月のゆるゲ(旧大人の部)は、予定通り実施しますが、誠に申し訳ございませんが、参加者は顔見知りの方のみとさせて頂きます。



余暇の選択肢を増やす事でQOLの向上を目的に活動していた当団体としては、今回の処置は苦渋の決断でした。

人と接する事がリスクになるという状況が、今後の余暇の在り方に影響を与えないか危機感を持っています。

5月以降のイベントは、できるだけ開催したいと考えていますが、今後の様子をみながら適宜お知らせしていきます。

お知らせが直前になってしまった事は、非常に申し訳ありませんでした。

ご理解とご協力をお願いいたします。

任意活動団体YokaYoka 代表 前田 嶺