2020年12月15日火曜日

居場所としてのゲーム、つながりとしてのゲーム

 こんにちは。

YokaYokaの前田です。

12/19(土)「インターネットと居場所」の講座まで、あと数日となりました。

今回のこちらの記事では、大好評だったゲームの記事のまとめ第2弾を実施致します。

今回は、当事者の方の記事を中心に見ていきましょう。

1 生きづらさを感じている方のひとつの逃げ場所になるのでは(山崎梓さん #NPO広報)

SNSが普及してリアル社会で強いつながりを求められる若年世代にとって、ゲームのような、別社会との接点があることは良いことだなと思っています。
実社会になじめなかったり、生きづらさを感じている方のひとつの逃げ場所になるのではとも感じています。

 認定NPO法人育て上げネットの山崎梓さんのnoteの記事。

自身の体験とゲームについて書いています。

育て上げネットは、若者支援を行う団体で、支援の一環として、ゲームを用いています。

ゲームが夢中になって取り組むものと同時に、下記のブログからも人と人をつなげる可能性が示唆されています。

そして居場所にもなりうる可能性も示唆されています。


2 ゲームの前では、年齢も体力も関係ない(小幡和輝 ゲームのオンライン家庭教師『ゲムトレ』代表)


自身の不登校の経験時に、ゲームに救われたという小幡さん

不登校だった小幡さんが、フリースクールに行くきっかけになったのは、一緒にゲームで遊んでいる従兄弟が通い始めたからで、そこのフリースクールでもゲームを通して仲よくなったと記事の中で述べています。

更に、下記のようにも述べています。

ゲームの前では年齢差も体力差も関係ないんです。だからこそ、年代も性別も問わず、いろんな人とつながることができるんです。

 

ゲームの世界では、世代等の様々な垣根を越えて、多様な形式があることがわかります。

3 「ゲーム」を通じてぼくたちは「障害」や「ふつう」の境界線をぼかして、新しい社会をつくれる可能性がある(早川公さん 文化人類学者)

次は、ゲームのつながりかたを見てみましょう。

障害がある人のesportについて発信しているサイトeparaの文化人類学者の早川公さんの記事です。

まず、文化人類学を学ぶことについて、下記のように述べています。

「相手のことを知ることでやさしくなれる、文化人類学は“結構いい仕事“なんだよ」

早川さんによれば、文化人類学とは遠く離れた土地で、他者の目から見た意味を見る事で、自分の見方を問いただすことができると言います。

あえて遠く離れた土地で他者の意味の網の目に触れることで、自分が嵌まっていた意味の網の目を分かりなおす、そうして人間を理解して「やさしい世界」づくりに寄与できるんじゃないか、というのが文化人類学の魅力なんじゃないかと思います。

そして、「ふつう」の見方について、疑問を投げかけます。私達多数派の社会から見た、多数派中心の枠を変えていく必要を訴えます。

そして、ゲームと障害の可能性について下記のように述べています。 

「ゲーム」を通じてぼくたちは「障害」や「ふつう」の境界線をぼかして、新しい社会をつくれる可能性があるとぼくは思います。いわば、現実の社会をつくりかえていくために、ゲームがその「あいだ」となるんじゃないか、ePARAでの取組みはそんなことを感じさせてくれるのです。

この境界線をあいまいにするというのは、非常に面白い視点だと感じます。

そして、当団体が主催した9/12(土)「ゲームとコミュニケーション」の講座にお招きした歴史学者の與那覇潤さんも、ボードゲームには他者との境界線をあいまいにすると下記の記事で述べています。

ボードゲームが回復の上でよかったのは、「自分と他人」の境界が溶けていくところだと思うんです。僕が買ってきたゲームなら、当然僕が1番ルールに詳しい。でも、だからって僕が毎回勝ちまくったら、僕自身が全然面白くないでしょう。「ルールを知らない人」「ゲームは苦手な人」も一緒に混じって、あ、でもみんな(=他人)が楽しんでくれたんだな、となってこそ、自分の楽しさも最大になる。

デジタルとアナログの違いはあれど、ゲームは、様々な境界線の輪郭をあいまいにし、ゆるやかに交わり、居心地のよい居場所を作ってくれます。

4 僕は、ゲームに救われた(田中栄一さん 作業療法士)

最後に、1/9(土)「余暇や遊びへのアクセシビリティーを考える」のゲストである田中さんのインタビューを紹介します。

田中さんは、国立病院機構北海道医療センターで作業療法士として、筋ジストロフィーも脊髄性筋萎縮症の患者さん達の「できない」を、機械工学を用いて「できる」に変える支援を行っています。主に、家事・仕事・レクリエーションなど様々な作業活動の場面でその機能回復を図って、「まなぶ」「あそぶ」「はたらく」活動を獲得するためのリハビリテーションを行っています。その中でも、ゲームアクセシビリティーという「多くの人がゲームをプレイしやすい工夫」を、患者さん達と一緒に「ゲームやろうぜ!プロジェクト」というHPを立ち上げ発信しています。

 

だからこそ彼らはよく言うんです。「僕はゲームに救われた」って。リアルな学校の体育の授業なんかだと、どんなに頑張っても身体が健康な子には敵わない。そもそも友達と競い合おうにも、その機会すらありませんよね。でも、ゲームの世界だったら、友達と同じ土俵で勝負することができる。競い合ってたとえ負けたとしても、ゲームだったら頑張れば勝てる可能性がある。どういう努力をすれば勝てるかもわかる。だから努力のし甲斐があるんだ。だから僕はゲームに救われたんだと。そうか、そういう視点があるんだと私はハッとしましたね。彼らと話してると、本当に学ぶことが多いです。

先ほども、ゲームが境界線をあいまいにする可能性を示唆しましたが、田中さんのインタビューでも同じように述べられています。

ゲームという世界だからこそ可能な繋がり方がある。

私達は、ゲーム=単なる余暇の過ごし方 という捉え方では十分ではないのかもしれません。

ゲームによるつながりは、様々な形で助けになっていることがわかります。

ゲームが持つ可能性を広めていくためにも、今後も更なる情報発信をしていきたいと思います。

5 講座の申し込み

現在、任意活動団体YokaYokaでは、障害がある人の余暇活動を考えるという連続講座を開催しています。

もし、この記事を通してゲームの居場所とつながり、ゲームと障害の関係に興味をもった方がいらっしゃれば、下記の講座に参加してみてはいかがでしょうか?

申し込み締切間近 (12/18 13:00まで)

児童精神科医の関正樹さんによるゲームも含むインターネットの世界に、どのような居場所があるのか案内してもらいます。


第3回 「余暇や遊びへのアクセシビリティを考える」申し込み受付中
作業療法士の田中栄一さんと、NPO法人ホスピタルプレイ協会の代表理事の松平千佳さんの2人の余暇や遊びを届ける工夫と実践をお聞きします。



任意活動団体YokaYoka(よかよか)は、「障害のある社会から、生涯楽しめる社会へ」をキーワードに、障害がある人の余暇の選択肢を増やすことを目的に活動している。主に、ボードゲームを遊ぶ事ができる「みんなのゲームクラブ」、中学生~高校生のASD児を対象とした「好きトーク」等を定期的に開催している。余暇に関する情報を発信する為に、余暇に関連した講座を企画・実施している。今年度は、連続講座「障害がある人の余暇活動について考える」を実施中である。

よろしければ、YokaYokaのSNSをチェックしてみてください。

 
 

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