2020年7月19日日曜日

【告知】連座講座 障害がある人の余暇活動を考える 開催!!

こんにちは。

YokaYokaの前田です。

この度、令和2年度キリン・地域のちから応援事業助成として障害がある人の余暇の講座を開催する事になりました。

タイトルで気づいた方もいらっしゃると思いますが、連続講座という名の通り、余暇に関連した講座を3回実施します。連続講座ですが、3回連続で参加しなければならないという縛りがあるわけではございませんので、各自お好きな講座にご参加ください。

各講座毎に、テーマに沿ったゲストの方をお呼びします。
ゲストの方と一緒に、この連続講座を通して、余暇に関連するテーマを一緒に掘り下げていきたいと思います。

会場までのお越しが難しい方もいらっしゃると思いますので、オンラインシステムを利用し、参加ができるようにする予定です。(現在、どのシステムを利用するか検討中ですので、もうしばらくお待ちください)

まず最初は、「ゲームとコミュニケーション」をテーマに講座を開催します。



日 時:9月12日(土) 14:30~18:00(開場:14:00) 
場 所:静岡駅前会議室LINK  B301号室
ゲスト:加藤浩平さん(コミュゲ研/東京学芸大学大学院研究員/編集者)
    與那覇潤さん(歴者学者)
参加費:1500円(会場)
    1000円(オンライン)オンラインの方は、当日実施するTRPGの体験への参
            加はできませんので、値段が通常より低めに設定してあります。
定 員:35名(会場)+オンライン25名
持ち物:鉛筆 消しゴム ダイス2個(お持ちであれば)
主 催:任意活動団体YokaYoka
問合せ:080-3288-5570 前田まで

ゲストは、2名お呼びします。

1人目は、テーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)や趣味トーク等の余暇支援をASDの児童青年に実施しているサンデープロジェクトの代表でもあり、東京学芸大学研究員でもあり、こころ・心理を専門とする出版社で編集者を務めている加藤浩平さんです。
加藤さんは、YokaYokaが去年主催した講座「TRPGで楽しくコミュニケーション」の講師を務めて頂きました。その際は、TRPGの実践やASD児のコミュニケーションについてお話して頂き、参加者の満足度も高い良い講座となりました。
また、当団体が行っている「明日何しようかな~余暇支援に携わる方へのインタビュー~」でも、計3回に渡って余暇支援に関わるきっかけやコミュニケーションの在り方などをお話し頂き、こちらも良い反応を頂いております。

もう1人のゲストは、歴史学者の與那覇潤さんです。與那覇さんは、ご自身の著書である『知性は死なない 平成の鬱をこえて』、斎藤環さんとの共著である『心を病んだらいけないの?鬱病社会の処方箋』の中で、ボードゲームがご自身の躁うつ病の回復の途上に役だったと紹介しています。
下記の記事でも、ボードゲームに関する言及がなされています。

うつの体験から考えぬいた、平成の反知性主義を克服する方法
 
【一押しNEWS】「競争」から「協力」へ/3月25日、ニューヨーク・タイムズ

臨床心理士が精神科デイケアで学んだ「麦茶を入れること」の思わぬ効用とは

社会的なコミュニケーションが苦手だと言われているASDの方を対象にTRPGを実践している加藤さんと、鬱により日常会話が不自由になるほど能力が一時的に低下し、その回復の途上にボードゲームが役だったという與那覇さん。どちらも、ゲームが関係しています。この講座では、加藤さんと與那覇さんの取り組みや体験の話を交え、ゲームとコミュニケーションの関係について改めて考えていきたいと思います。

申し込みの開始は、もう少々お待ち下さい。(2020.7.27更新)
→こちらから申込みができます。(9/12(土)に締め切りました)

1回目の講座「ゲームとコミュニケーション」に関しましては、9/26(土)を予備日として確保しております。9/12(土)が、何らかの理由(新型コロナウイルス関連、台風等の天気の影響など)で実施できなかった場合は、9/26(土)に振り替えた上で実施致します。その場合は、9/26(土)はオンライン形式での講座になります。

2回目は、「インターネットと居場所」をテーマに開催致します。



日 時:12月19日(土) 13:30~16:30(13:00開場)
会 場:静岡市番町市民活動センター 2F大会議室
参加費:1500円
定 員:25名(会場)+35名(オンライン)  40名(会場)+20名(録画)に変更
主 催:任意活動団体YokaYoka
問合せ:080-3288-5570 前田まで

ゲストは、児童精神科医の関正樹さんです。
関さんは、ご自身がゲーム好きということもあり、ゲームへの親和性が非常に高く、子どもとゲームの関係についても好意的に捉えています。著書である『発達障害をめぐる世界の話をしよう よくある99の質問と9つのコラム』やゲームの特集をした『おそい・はやい・ひくい・たかい No.107』の中でも、まずは大人が子供達がゲームやネットの中で、どのように楽しんでいるのかを知り、仲間意識を共有する事の大切さを述べています。
また、香川県のゲーム規制条例もあり、ゲームやネットの関わり方が注目が集まっています。
2回目の講座では、昨今の情勢も踏まえて、関さんをゲストに迎え、「インターネットと居場所」について改めて考える機会にしたいと思います。

ゲームばかりの子どもに親がしてはいけない3つのタブー

外出自粛で1日10時間も…“子供がゲームやり過ぎ”困る親へ 児童精神科医「ゲームの良い所知って」

3回目は、「余暇や遊びへのアクセスシビリティ」をテーマに開催致します。



日 時:1月9日(土) 13:30~16:00(13:00開場)
会 場:静岡市内で調整中 静岡市番町市民活動センター2F 大会議室に決定(2020.10/5更新)
参加費:1500円
定 員:50名
主 催:任意活動団体YokaYoka
問合せ:080-3288-5570 前田まで

3回目のゲストは、国立病院機構八雲病院で作業療法士をしている田中栄一さんです。
田中さんは、主に病院にいる筋ジストロフィーや脊髄性筋萎縮症の方が、ゲームを楽しめるように、ゲームやコントローラーを改造する等して、ゲームへのアクセスを保証しています。また、ゲームへのアクセスシビリティの情報を、ゲームやろうぜProjectで紹介しています。

第1回「僕はゲームに救われた」
第2回ゲームアクセシビリティの普及に向けて
第3回eスポーツは障害者の希望の光

もう一人のゲストは、松平千佳さんです。松平さんは、HPS Japanの養成責任者を務め、HPS(Hospital Play Specialist)の育成に取り組んでいます。HPSは、遊び(ホスピタル・プレイ)を用いて、医療環境をチャイルドフレンドリーなものにし、病児や障がい児が医療とのかかわり経験を肯定的に捉えられるようにするため、小児医療チームの一員として働く専門職です。
病院内で、遊びやゲームの機会を提供している田中さんと松平さんの取り組みを交えながら、余暇や遊びへのアクセスシビリティについて改めて考える機会にしたいと思います。

各講座、準備ができ次第、告知をしていきますので、もうしばらくお待ちください。

2020年6月24日水曜日

無駄共同体みたいなもの、そうゆうのできないかな?~大谷直史さん(みんなの居場所ぽっと)インタビュー 4/4~


現在YokaYokaでは、余暇支援に関わっている方を(主に遊び、余暇、居場所)中心に、『明日何しようかな~余暇支援に関わる方へのインタビュー~』と称して、お話を聞かせて頂いています。

鳥取でみんなの居場所ぽっとという居場所を運営している大谷直史さんに、「居場所とゲーム」を中心に、様々なお話を聞かせて頂きました。お話を聞かせて頂いたのは、新型コロナウイルスによる影響が本格的になる前の2月の下旬です。視察も兼ねて、ぽっとさんには2泊3日お世話になりました。

今回で4度目の更新、最終回になります。

前回は、コミュニティを作ることにより、境界線の内と外を作ってしまうという矛盾、それから、余暇も役に立つ余暇という事が強調されるようになっていってしまっている現状について、インタビューを通して共有させて頂きました。

前回までのインタビューは、↓↓↓↓
単体の家族が自由にアクセスして、もう少しゆるく、広く、『贈与関係』を結ぶような組織が必要~大谷直史さん(みんなの居場所ぽっと)インタビュー~

ゲームは、ゲームに付随してコミュニケーションを発生させるので、良いという事~大谷直史さん(みんなの居場所ぽっと)インタビュー2/4~

「する」ではなくて「いる」なんだよね。そこに「いる」だけの為に来る人が増えれば~大谷直史さん(みんなの居場所ぽっと)インタビュー3/4~

今回は、今後に目指していく共同体の理想について意見を交換しています。インタビュアーが、どんどん持論を展開していく少し風変わりなインタビューも今回が最後です。

インタビューに快く応じてくれたみんなの居場所ぽっとの大谷さんをはじめたとしたぽっとの皆様、本当にありがとうございました!!
鳥取の観光案内までして頂きありがとうございました。



無駄な事を一生懸命楽しめるという点で、ゲームは優れている。

― 当初バズワードカフェは、市民活動でよく使われる言葉を定義する為にやったんですね。言葉の定義が定まらないと、議論が深まっていかないと感じていたので。でも、実際に開催してみたら、言葉に対して、各々のとらえ方が異なっていて、違いが実感できるという点が面白かった。言葉の輪郭が人それぞれ異なると表現しますが、そちらの方が面白かった。結果、1つの定義に当てはめようとしなくても良いという考え方になりました。それと、余暇支援の方法として、なぜゲームという手段を用いるのかと問われる事があります。



大谷:ゲームの良い所は、やっぱり無駄だからでしょう。料理だと、やっぱり役に立っている感がある。スポーツも健康に良いという役に立っている感じがある。ゲームは、あきらかに無駄。カタンの開拓者を上手になっても、それは無駄。無駄だとわかっているにも関わらず無駄な事をやるのに、ゲームは良い。

― でも、カタンの開拓者の交渉を経験する事によって、会話が上手くなると言う人がいるかもしれないですよ。

大谷:まあ、効果はいくらでも言えるでしょうね。

― 僕もゲームは役に立たないものだと思っています。そもそもゲームをやろうと言う時は、ゲームを楽しむ以外の目的は持たない。勝利を目指す時はもちろんありますが。

大谷:ゲームをやる事が目的だけど・・・それは、メタレベルでは、ゲームが無駄だという事を知っている。知っているにも関わらず、あえてゲームがしたいと感じる。そこに、邪心がないよね。健康に良いとか、おいしいもの食べれるとか、異性にモテるようになるとか・・・そうゆう邪心がなく、無駄な事を一生懸命楽しめるという点で、ゲームは優れている。

― ゲームの中の手続きさえ踏んでいけば、時間を自然と共有できる点は便利だと感じています。コミュニケーションが個人の能力に問われがちな時代に、とても良いツールだと思っています。

大谷:それは、やっぱりゲームが無駄だからだと思う。有用な事をみんなでやると、そっちに目を奪われて、コミュニケーションどうでも良いみたいな感じになってしまう。

― この副次的なものが、大谷さんが言っていたノイズに近いかもしれないと感じました。当初は、ゲームは訓練的なもので、ノイズは発生しづらいと思っていたのですが。

大谷:副次的なものが重要なメディアかもしれないね。あるいは、無駄な事を一緒にやっている共同性が、有用な事を一緒にやっている共同性より強いかもしれない・・・

― まあ、僕は無駄な事をやっていると思って遊んではいないですが。

大谷:もちろん、やっている時はね。後から振り返ると、あの2時間無駄だったなと。

― 効率性を重視すればそうかもしれませんが。あの2時間でもっと効率の良い事ができたなという感じの事があるかもしれませんけど。

大谷:きっと、無駄な事が良いはずだよ。

― ただ、何度も言うように、必ず効果が見込めるゲームとかはない訳じゃないですか?これで必ずのびるコミュニケーション、ザ・コミュニケーションゲームみたいのはない。

大谷:そうゆう言い方はするだろうし、僕もそうゆう言い方をするけれど、それは、単なる宣伝文句であって、

― だいぶ市場の方に取り込まれていませんか?

大谷:大学はね。大学も本来は無駄なもので。本当は無駄なことばっかりやっている。

― 選択と集中という言葉を用いて、基礎研究の予算が削られているというのは

大谷:役に立たないものが切り捨てられていくんだけど・・・・なんか、無駄共同体みたいなもの、そうゆうのできないかな?

― 無駄共同体ですか?

大谷;かつて、負の共同体と呼ばれて、なにか問題を抱えている人達が持つ共同性みたいな

― それは、当事者会とは異なりますか?

大谷:今は、当事者会という言い方をするかもね。無駄な事を一緒にやっている間柄に生じる共同体。

― でも、無駄共同体と名乗った瞬間、終わっちゃいませんか?目的化していませんか?

大谷;名指したら終わってしまう。だから、名指してはいけない。

― ここに建前を名付けるといいと思います。斎藤環さんが、「親密さのアフォーダンス」という文献の中で、引きこもりがちな人で対人恐怖傾向が強いけど、誰かとコミュニケーションを取りたい人にとって、狭さがコミュニケーションを発生させる言い訳になると述べていて・・・

大谷:ゲームは建前になるよね。

― 僕もこの文献を読んだときに、ゲームがその言い訳を発生させる媒介になると思いました。気の利いた事を言わなければという恐れが、ゲームを通すことでマイルドになる。

大谷:そうか。それを名指してしまったのが、コミュニケーションする為のコミュニケーションか・・・

― まあ、時間もだいぶ長くなったので、一度終わらせて頂きます、今日は、ありがとうございました。

みんなの居場所HP:https://potpot.localinfo.jp/

大谷直史さん(鳥取大学 教育支援・国際交流推進機構 教員養成センター 准教授)
北海道大学教育学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は、社会教育学、 環境教育学。他者理解やコミュニケーション促進のツールとしてボードゲーム の開発・作成を行う。鳥取市に「みんなの居場所『ぽっと』」を設立、不登校の 子どものケアや子ども食堂の運営など、長年にわたり子どもの居場所づくりを 行っている。「ヒトトイロ」というボードゲームのデザイナーでもある。

2020年6月22日月曜日

【開催報告】趣味トーク~好きなことについて楽しく語っちゃおう~

こんにちは。

YokaYokaの前田です。

先日、コロナ禍の中、YokaYokaの活動をなんとか実施する事ができました。

活動内容は、『趣味トーク~好きなことについて楽しく語っちゃおう~テスト版』を実施しました。

活動の詳細は、こちらからご確認頂けます。
趣味トークを開催します

今回のブログでは、趣味トークの活動の様子を紹介出来たらと思います。

趣味トークは、中学生1人、高校生1人の計2名が参加してくれました。

司会は、スタッフが担当しました。

参加人数が予定より少なかった為、スタッフもグッズを持参し、趣味トークに参加しました。

更に、体調の関係から会場に赴くのが難しいとの事で、Skypeを繋いで、急遽オンラインで参加してくれた方もいらっしゃいました。




トップバッターは、代表の前田が務めました。(何故、年齢順にやりましょうと提案してしまったのかと後悔しました)

好きなことを話すとしても、緊張しますね!!

でも、「上手に話すことより、楽しく話すこと」という目的が共有されていると、自分の話がうまくいっていないかもと感じた時に、励みにもなり、安心にもなりました。

質問も多く出て、非常に盛り上がった回となりました。



今回は、スターウォーズ、SMAP、鬼滅の刃・家庭教師ヒットマンリボーン、ボカロ(主に初音ミク)、PCで作成した自作キャラクター等が語られました。

次回の開催は、下記の通りです。


前回から変更した点が、3つあります。

①前回までは、テスト版だったので無料で参加できましたが、次回からは参加費をお願い致します。

②また、「趣味トーク」から「好きトーク」に名称を変更しました。

募集の際に、語れるほどの趣味はないとおっしゃる方が何名かいらっしゃって、「趣味」という言葉に対するハードルを感じたので、好きなもの、はまっている事を楽しく話せる場という意味を込めて「好きトーク」に名称を変更しました。

③話を聞くだけの参加でも大丈夫です。
とりあえず参加してみて、好きトークがどういったものか知りたいという方がいれば、申し込み時にその旨をおっしゃてください。

興味がある方、参加してみたい方は、080-3288-5570 前田まで連絡を頂けると助かります。

学校を卒業した方からも、好きトークの開催を望む声があれば、やってみようと検討中です。

2020年6月11日木曜日

趣味トークを開催します。

こんにちは。 YokaYokaの前田です。 現在、YokaYokaではコロナ禍の中で実施できる余暇支援を模索しています。 ボードゲームやカードゲーム、TRPG等は、一定の距離を空けて実施する事が難しく、感染症との相性が良くないと感じています。それ故、現在の状況では、公共施設での実施は、困難だと感じています。 そこで、「趣味トーク」を実施することにしました。 「趣味トーク」は、昨年の10月に実施した「TRPGで楽しくコミュニケーション」で講師を務めてくださったコミュゲ研で実施されている活動です。 こちらのページで、趣味トークの活動が紹介されています。 オンラインで(も)できる自閉スペクトラムの子の余暇支援(加藤 浩平:東京学芸大学研究員/藤野 博:東京学芸大学教職大学院教授)#つながれない社会のなかでこころのつながりを YokaYokaの新しい試みに協力しても大丈夫という自閉症スペクトラムの中学1年生~高校3年生までの方がいらっしゃいましたら、080-3288-5570 前田までご連絡をお願いいたします。 オンラインでの参加に関しましては、今回の趣味トークを実施した後、次回から考えたいと思います。(運営側である私達が流れを理解してから実施したいので、誠に申し訳ありませんが、お願い致します。) 好きなアニメ、音楽、ゲーム、漫画、鉄道等・・・・
自分の趣味(好きなこと)について、楽しく語っちゃおう!

日 時:6月21日(日)  14:00~15:30
場 所:静岡市番町市民活動センター 大会議室
参加費:無料(テスト段階なので)
定 員:4名~5名
対 象:中学1年生~高校3年生までの自閉症スペクトラム児
持ち物:好きなことをしゃべる時に見せたいアイテム

6つのルールを守りながら、自分の好きなことを楽しく表現しよう。
①どんなトークの仕方でもOK
②どんな姿勢で参加してもOK
③人の好きを絶対に「否定」しない
④人が話している時に話を遮らない
⑤活動の事をSNS等に無断でアップしない
⑥司会進行役の指示に従って活動を進める
*コミュゲ研さんの「趣味トーク」のルールを参考にさせて頂いています。

好きなことを話す発表時間は、1人15分です。
発表タイム(5分)+質問タイム(10分)=計15分です。
タイムキーパー(時間の管理)は、司会が担当しますので、発表時は好きなことを話すのに集中できると思います。

新型コロナウイルスの感染防止対策として、手指消毒・マスクの着用をお願いします。
趣味トークの目的は、「上手に話すことより、楽しく話すこと」です。 中学生から高校生の自閉症スペクトラムの子達が、安心して話せる場所にしたいと思います。

ご不明な点がございましたら、080-3288-5570 前田までご連絡ください。 よろしくお願いいたします。

2020年6月7日日曜日

「する」ではなくて「いる」なんだよね。そこに「いる」だけの為に来る人が増えれば~大谷直史さん(みんなの居場所ぽっと)インタビュー3/4~

現在YokaYokaでは、余暇支援に関わっている方(主に余暇、遊び、居場所)を中心に、「明日何しようかな~余暇支援に関わる方へのインタビュー~」と称して、お話を聞かせて頂いています。

鳥取でみんなの居場所ぽっとという居場所を運営している大谷直史さんに、「居場所とゲーム」を中心に、様々なお話を聞かせて頂きました。お話を聞かせて頂いたのは、新型コロナウイルスによる影響が本格的になる前の2月の下旬です。視察も兼ねて、ぽっとさんには2泊3日お世話になりました。

今回で3度目の更新になります。

前回までは、みんなの居場所ぽっとの理念、ボードゲームやカードゲームを楽しむ際に付随して発生するコミュニケーションについてお話を聞かせて頂きました。



今回は、居場所のこれからの在り方についてお話を聞かせてもらいました。特に、コミュニティや居場所に関連した活動を始めると、つながりを重視しているのに、いつのまにか境界線ができ、境界の外と内が発生してしまうことについては悩んだことがあるのではないでしょうか?

是非、一度目を通して頂けると幸いです。

みんなの居場所ぽっと 外観


コミュニティを作ると、境界線の内と外を作ってしまう。

ー 話を伺っていて、メンバーシップに捉われないという部分は、YokaYokaも近いと感じました。(みんなのゲームクラブに)来た人にゲームを教えるというよりは、一緒に楽しみたい。勿論、ルールを知っていたら教えますけど、一緒に楽しむことを大事にしています。でも、僕らは疑似家族のような家族のありかたまでで考えてないので、ぽっとの居場所の役割とは異なるかもしれません。

大谷:今の家族がどんどん縮小していって、役割もどんどん減っていく中で、それを少なくとも補填するような、親密な関係を提供してくれるそうゆう場所は必要だと思います。
今、僕の考えている事は、欲望喚起されて従う事は悪い事ではない。自分に欲望が生じて果たそうとするのは非常にいい事。むしろ、それが出来なくなってしまうと引きこもってしまう。引きこもりは、どんどん他者を排除していくので、欲望が発生しなくなる。欲望が閉じられていくところに問題がある。ぽっとにいると、ニーズがあって、様々な子ども達がどんどんやってくる。その子どもと楽しく遊ぶけど、もっと他に寂しくしている子どもがいるはずですよね。僕と遊びたいと思っている子ども達を、結果的に排除してしまっている。そうゆうやつなんですよ。「贈与」は。ずるいやつ。

ー 与える対象をこちらで決められてしまう不平等さがありますね。

大谷:うちの場合であれば、たまたま近くに住んでいるとかね。

ー ここにアクセスできる人に限られてしまう。

大谷:限られている。その限界を常に感じながらも、そうでしか提供できない。

ー これが訪問支援になってしまうと、元々の根本を変わってしまいますか?

大谷:訪問でも同じことで、特定のところとつながるということは、他を排除する。これは非常に困っています。「交換」と「分配」の戦略は、つながっても排除しない。ただ、唯一「贈与」だけは、つながる事で他を排除してしまうという矛盾に陥ってしまう。

ー 「交換」は、排除する必要がないですよね。

大谷:そう、排除する必要がない。

ー 「分配」は、徴収して分配したいから

大谷:むしろ、排除しないことを目指している。「贈与」は、排除した方がいい事になっている。自分の家族が大事。親が、子どもの養育に、第一義的責任を負っている。だから、他を排除して、自分の家族だけを守る事が推奨されるシステムになっている。一義的責任とか入ると困ったなと思っていましたが。そうじゃなくしたい、違うシステムに持っていきたい。

ー コミュニティにしても、必ずどこかで線はひかれますよね。ネットの普及に伴い、アクセスの格差は解消されると思ったけど、ネットの空間でさえも特定の人とのつながりに限られている。居場所も同様に、来れる人に限られてしまう。来れない人は、大谷さんの提唱するNFOには入れない。僕は、様々な人が居場所を作っていけば、そうゆう取りこぼしはなくなる可能性はあると思っています。

大谷:可能性もあるかもしれないけど、コミュニティを作ると、境界線の内と外を作ってしまう。

ー 僕たちが「障害がある人もどうぞ」とチラシに書くと、健常と言われている子どもや家族はあまり来ないです。線を引かないために言った言葉が、結果的に境界線を引いてしまう。それで、「誰でも来れますよ」と書くと誰も来ない。それで、親子で楽しめるという言葉にしてしまうと、今の家族の形式に当てはまる人しか来られない。言葉により、境界線が日々引かれているのを感じます。解決の一つの方法として、居場所を構えてやる事だと感じて見学に来たのですが、居場所も限界があるという事ですね。

大谷:ボードゲームの集まりと子ども食堂を同時並行でやれば、それぞれに特化した人が集まり、何かしらの接触がおこる事により、偶然の出会いに期待したところもあったけど、あまり接触しない。こっちは、こっち、そっちはそっちになってしまいがち。

ー 昨日ボードゲーム会に来た人が、子ども食堂でご飯を食べているイメージは湧かないですね。ボードゲームを一緒にやる仲間の為に来ている印象を受けました。目的を持つととどうしてもそのようになってしまいますよね。

大谷:だから、「する」ではなくて「いる」なんだよね。そこに「いる」だけの為に来る人が増えれば。

ー でも、運営的に厳しくないですか?市場経済に巻き込まれていく部分はありますよね。

大谷:一時期住み開きという言葉が出たけど、各家庭が家庭を開放して、単に居る為のだけにどこでも行けるようになれば可能性はあったかもしれないけど、それはしんどいかもしれない。

ー 疑似家族がキーワードになると感じています。「機動戦士ガンダム」のホワイトベースの空間は、ある意味「疑似家族」的でしたよね?昔から、「疑似家族」的なものは、結構あったのかもしれないですね。

大谷:日本の場合は、企業が家族の代わりをしていたので、「家族の為」が「企業の為」に移り変わっていった。

ー その当時は、福利厚生もしっかりしていて、家族を受け入れるコミュニティになっていた。

大谷:地域社会よりも企業社会の方が、日本の福祉を担っていたと思います。

ー 80年代までですか?

大谷:きっと、80年代までですね。

ー 段々と終身雇用とかも崩れていって

大谷:90年代半ばには、そうゆう幻想も潰えた感じがありますね。

ー 2000年代は、ヒルズ族という言葉や、「勝ち組」「負け組」という言葉もありましたね。80年代は、「市場」と「家族」の距離が近かったという事ですか?

大谷:かつては、ここの領域は地域社会が担っていた。高度経済成長期に、地域社会が崩壊したので、地域が担っていた部分を、日本の場合は企業が埋めた。企業が家族的なものや国家的なものを提供していた。それは、一部の層に限られたものだったかもしれないけど。しかし、企業も儲からなくなったので、撤退していったという事じゃないでしょうか?

ー 地域も企業が担えなくなった空白の部分を、家の機能を拡大する事により埋めていく。そこをNFOが担っていく。その為の実験場が「みんなの居場所ぽっと」ということですね。

大谷:そうなるね。目指しているのは、標語でいうところの「平等な家族」です。平等な愛は可能なのかという実験場です。

ー それは、さっき言ったこの子と一緒に遊んだら、他の子を放っておく事になる事への平等性って事ですよね?

大谷:そこのジレンマを解決したい。

余暇も役立つ余暇にどんどんなっていっているからね。役に立たない余暇にしていかないといけない

― なるほど。最後に大谷さんの余暇に対する考え方を教えてください。

大谷:僕にとっては、全て余暇です。余暇と言われると、日常生活で疲れて疲弊しているのを癒すためのものと言われているけど。そうゆう枠組みでは、あまり考えない。むしろ、この如何につまらない暇ばかりな人生をどう楽しくできるか。僕は、人生はゲームだと思っているので、なるべく楽しいルールにした方が良いし、なるべく平等な方が良い。特に家族においては、ルールを変えてあげないと、悲惨な家族に生まれたプレイヤーは可哀想な状態になっている。

― つまりは、初期条件が不平等すぎてそもそもゲームにならない

大谷:そうそう。

ー それを、NFOという家族の機能を拡大していく事によって、この初期条件の不平等さを解消したい

大谷:初期条件をなるべくフラットにする試みと言ってもいいかもしれないね。

ー みんな5金を持っているのに、1人だけ1金しか持っていないみたいな。資源の購入は3金からなのに。

大谷:しかも、逆転のチャンスもない。ルール変更して、母親からの贈与だけに限らず、ここでも贈与できますよ。贈与が足りない人は、来てくださいという事。

ー 贈与の関係性を増やすといのは良いですよね。責任を親だけで担っていくのは、しんどいと思います。関わる人が増えて、責任を分散していって、しんどくないようにしていく。東京大学先端研究所の熊谷さんは、障碍者にとっての自立とは依存先を増やすことであると述べていたましたが、それと近いですね。

大谷:そうですね。おそらく今の余暇の使い方は、ノイズを排除する余暇になっている。むしろ、逆だろうと。だから、YokaYokaも余暇の在り方をかえていく事を目的にしている?そういえば、YokaYokaは余暇を選択できるフラット社会を目指していると言っていけど、「YokaYoka」の言葉の中に、「丘(oka)」という言葉が2つ入っているからよくないんじゃないかな。

ー 本当ですね!! 今、気づきました(笑) 当初、余暇という言葉を使うか遊びという言葉を使うかで迷いました。でも、「遊び」という言葉を使うと、大人が入りづらくなってしまう。大人だって遊びたいし、他者とのつながりを増やしたいと思っているはずだし、人生を充実する為には、他者の存在は欠かせない。人生を楽しむ為には、一人で取り組むことだけでは限界がある。僕も、誰かを誘うコミュニケーションは苦手です。意気込まないといけない。僕にとっては、これが結構なハードルです。だから、場を用意して、その中でやりとりを楽しむ方が気楽です。そうゆう人は、他にもいるだろうと感じています。

大谷:いるだろうな。むしろ、多数だと思うけどな。

ー 僕ら大人の部(現ゆるゲ)では、ゲームをやらない人でも、帰りにちょっと寄り道をしていきませんか?気が付いたら家と職場の往復になっていたという人達も対象に、僕らと少し時間を共有していきませんかと参加者を募っています。軽めのゲームを中心に揃えているのは、そうゆう理由です。

大谷:コミュニケーションというのは、それ自体を目的にしちゃうと非常にやりにくいですよね。コミュニケーション系のゲームというのは、ゲームという体裁をとる事で、あなたと交流したいという目的を隠してくれる。ゲームの目的を目指せば、自動的に本来の目的の交流を成し遂げられる。やっぱり、そこを名指して、あなたと交流したい、交流しませんという言い方は、嫌らしく響くというか。まあ、当然断られたら傷つくし。

ー 傷つきますよね。

大谷:コミュニケーション系ゲームを誘って、断られたら、まあしたくなかったのかなで済む。

ー 僕は、ゲームをツールだと思っています。もちろん、ゲームをするのは好きですけど。でも、ゲームを通して、効果として測定できるような何かが生まれると思っていない。人によっては、療育で使う人もいるけど、僕らの団体は余暇が充実する為のツールとして捉えて活動しています。余暇を楽しむ事は、優先順位が下げられてしまうけど、そうゆう場は必要だと思います。

大谷:余暇も役立つ余暇にどんどんなっていっているからね。役に立たない余暇にしていかないといけないですよね。

ー それは、僕らの能力では難しいかもしれない。それに、役にたつ/役に立たないという視点では考えていません。さっきの居場所の話に戻りますけど、居場所は、複数あってもいいと思っています。1つの居場所が全てを引き受けるのは、運営する人もしんどくなってしまう。居場所も様々な形態があって良くて、目的もそれぞれで良い。その中で、自分に合う居場所を見つけられたら良いと思います。初日の夜に、「居場所」のワークショップをやってもらったじゃないですか?あの時に、居場所と感じる要素は、参加した人によって異なっていました。だから、誰もが満足する居場所はない。まあ、「みんなのゲームクラブ」という名前を謳っていますけど。ボードゲームが好きな人は好きな人同士で集えばいい。それが、その人達の居場所になっているはずだと思います。

大谷:ただ、居場所は目的に付随して生じるものですよね。基本的には。学校が居場所というのは、学校が勉強するところで、勉強する為にみんながあつまって、空間を同じくして、それが副次的に居場所という機能を果たしている。会社にしても同じで、ゲームクラブもそうだし、ゲームをするという目的で集う事によって副次的に居場所としての機能が果たされる。副次的なものを主目的にしてしまうと、たぶんおかしくなってしまう。

ー 確かにそうですね。

大谷:交流する為に交流しましょうみたいな感じ。僕らのスタイルは、単に生活している所を開いているだけなので。いやーなんか、おかしくなってきたぞ

ー 偶然発生的な物、主目的に沿ってないものは、必ず生まれますよね。それを、許容するのが居場所の重要な要素だと感じます。主目的が楽しみな人もいるだろうし、副次的なものを楽しみにしている人もいる。余暇も同じだと思っていて。余暇の場があるから仕事頑張れるという人もいるだろうし、ゲームをする事を楽しみにしている人もいるだろうし、誰かと会う事を楽しみにしていう人もいる。

大谷:ただ、なんか余暇を満喫するぞという言い方は、なんか変だよね?

― その言い方は、僕らはあまり用いないですね。

大谷:結果的に余暇を満喫されているもので。満喫しようと思って、満喫できるものではない。

― ないですね。結果的にですね。

大谷:結果を導くために「ゲームをしようぜ」と言って、ゲームしていると、最終的に余暇を満喫したという事態に陥っている。

― そうですね。ゲームはツールだと認識していながらも、「ゲームを楽しみたい」という気持ちはある。手段を達成するための道具とは見てないけど・・・これは答えがでないですね。お互いの宿題にしましょうか。

大谷:そうだね。


次回の更新をお待ちください。


みんなの居場所HP:https://potpot.localinfo.jp/

大谷直史さん(鳥取大学 教育支援・国際交流推進機構 教員養成センター 准教授)
北海道大学教育学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は、社会教育学、 環境教育学。他者理解やコミュニケーション促進のツールとしてボードゲーム の開発・作成を行う。鳥取市に「みんなの居場所『ぽっと』」を設立、不登校の 子どものケアや子ども食堂の運営など、長年にわたり子どもの居場所づくりを 行っている。「ヒトトイロ」というボードゲームのデザイナーでもある。

2020年5月28日木曜日

ゲームは、ゲームに付随してコミュニケーションを発生させるので、良いという事~大谷直史さん(みんなの居場所ぽっと)インタビュー2/4~

現在YokaYokaでは、余暇支援に関わっている方(主に余暇、遊び、居場所)を中心に、「明日何しようかな~余暇支援に関わる方へのインタビュー~」と称して、お話を聞かせて頂いています。

鳥取でみんなの居場所ぽっとという居場所を運営している大谷直史さんに、「居場所とゲーム」を中心に、様々なお話を聞かせて頂きました。お話を聞かせて頂いたのは、新型コロナウイルスによる影響が本格的になる前の2月の下旬です。視察も兼ねて、ぽっとには2泊3日お世話になりました。


今回は、2回目のアップになります。
みんなの居場所ぽっとには、800種類以上のボードゲームがあります。学童保育や子ども食堂の開催と並行して、ボードゲーム会も実施しています。ちょうど、私達が宿泊させて頂いた時は、ゲーム会の開催日でもありました。ゲームとコミュニケーションの関係の話を聞きながら、居場所の役割についても聞いています。

前回のインタビュー↓↓↓


興味がある方は、是非読んでみてください。


煩わしいとか面倒だといってこうゆうノイズや関係を排除してきた。でも、そうゆう種類のコミュニケーションの方が大事なのではないかと

― 大谷さんが所有しているボードゲームの種類を拝見させて頂いて感じたのですが、コミュニケーション系のゲームが結構多いですよね。コミュニケーションについては、常に気にしていますか?



大谷:気にしています。自分があまり得意ではないし、好きでもない。結構、1人でいたい人で、全然喋らない人間だったので。必要ない事は喋りたくない。だから、挨拶もしないと決めています。

― 最近のコミュニケーションという言葉の意味は、物事を正確に伝える為の伝達のコミュニケーションではなく、「空気を読む」とか「場を和ませる」等の個人に帰結するコミュニケーションが注目されています。大谷さんは、そういったコミュニケーションは得意でもないし、好きでもないと。

大谷:そうだね。多くの人が、一緒にいる事によって発生するノイズを排除して、1人でいられる時間や場所を重視する。一方で、空気を読む為に、お互いを褒めあったりして、コミュニケーション自体を目的としたコミュニケーションをどんどんするわけですよ。それより、一緒にいる事により、こんな風にノイズがいっぱい入ってくる。ノイズがあっても、「まあ、しょうがないよね」って許容できる感じ。ノイズがいっぱい溢れていて、そこに気を使う必要ながないけれども、当然我慢しなきゃいけないこともいっぱいある。たぶん煩わしいとか面倒だといってこうゆうノイズや関係を排除してきた。でも、そうゆう種類のコミュニケーションの方が大事なのではないかと・・・

― なるほど。それでは、こちらにあるボードゲームはどういった立ち位置になるのでしょうか?

大谷:わざわざコミュニケーション自体を目的とした場を作って、そこで戯れようとする。そこは、コミュニケーション強者が我が物顔になっていて、弱者は入っていけない。すると、弱者はどんどんコミュニケーションがとれなくなってしまう。そういった時に、ゲームは、ゲームに付随してコミュニケーションを発生させるので、良いという事だよね。

― いわゆるコミュニケーション強者・弱者という関係が、ゲームに参加する事によって問われなくなる。ゲームで遊ぶと、様々なコミュニケーションが発生しますよね。


大谷:ゲームは、目的が決まっていて、そこに向かってさえいけばいいので、非常にシンプルですよね。敷居が低いゲームだと、一緒にやっていると、余分な部分でコミュニケーションを生じてしまっている。そこを許容するという点では、強者も弱者もあんまり関係なくなるという。

― では、昨日の『アヴァロン』は別枠という事でいいですか?(前日の夜に遊んだゲームで、初参加の前田はコテンパにされた。一緒に参加したメンバー曰く、目が死んでいたらしい)

大谷:コミュニケーション系のゲームは、実はコミュニケーション強者にとっていい場所ですよね。むしろ、コミュニケーション系じゃないゲームの方が、居心地が良いかもしれない。

― そうですね。でも『Dixit』等のゲームであれば、違うかもしれないですね。駆け引きが重要な要素になる人狼系のゲームはどうしても・・・

大谷:強い人が強いからね。

ー 先ほど、必要がなければ、挨拶もしたくない。必要がない事はしゃべらないと言っていましたが、ゲームをやる事によって、ゲーム以外のところで会話等が発生しますよね?大谷さんは、ゲームをやる事により発生するコミュニケーションを求めていらっしゃるという事でしょうか?

大谷:求めていますね。ずっと一人で生きていくのは寂しいので、他者とのコミュニケーションを必要としてしまう。でも、わざわざ「コミュニケーションしようぜ」といってコミュニケーションとるのは、苦手です。だから、ちょっと話飛ぶけど、告白とか嫌いだよね。あなたと付き合いたいという事を、わざわざ「付き合いたいです」と言葉にするのは、気に入らない。たまたま一緒にいて、居心地がよくて、それが続いているものを、わざわざお互いが言葉にして、了解し、確定しないといけないのか。

場所を構えてやっている事により、僕にとってだけじゃなくて、他の人にとっても、偶然他者との出会いがある空間になる。

― 先ほど、「他者」という言葉が出たのですが、「他者」というのは、どういった存在だとお考えでしょうか?

大谷:一言で表すと、「自由の根拠」かな。やっぱり、自分だけではつまらないですよね?自分にできる事は、だいたいわかっているし、同じことの繰り返しでしかない。全然変化ないし、発想の転換とかもない。そこで、訳わからんやつと関わる事は楽しいので・・・人生を楽しくする為には「他者」が当然必要。さっき自由と言ったのは、自分だけだと自分の枠からでる事ができない。「不自由」な状態。その「不自由な状態」から、一歩踏み出し、自由を得るために「他者」と関わる。

― 居場所として構えている事によって、他者が来ることによって新しい何かが生まれると。

大谷:居場所をもってないと、他者とコミュニケーションをとりにいかなければならない。コミュニケーションをとるために挨拶をして、そこからわざわざコミュニケーションをとる。でも、居場所があると、人がやってきて、そこで自然に他者と交流ができて、自分の枠から出る事ができる。場所を構えてやっている事により、僕にとってだけじゃなくて、他の人にとっても、偶然他者との出会いがある空間になる。

― コミュニケーションを発生する場を意図的に作っているという事でしょうか?

大谷:多分同じことだけど、それは「贈与」できる空間を作っている。他の公共空間で、勝手に「贈与」したら、少し気持ち悪い人ですよね?居場所であれば、勝手にやってきて、子どもと遊んでも全然かまわない。むしろ求められている。

― 例えば、お店に行って、店員さんの対応の不手際が目立った時に、誰かが「あの店員、ちょっと対応が・・・」みたいな事をと言ったとします。これは、店員と客という関係の中で文句を言っている。もし、これが街中で偶然会って、先ほどの店員が困っていたら、文句を言っていた人も「どうしました?困ったことありましたか?」みたいな形で声をかけるかもしれない。メンバーシップという境界線が引かれてしまうと、そこに関連してコミュニケーションの形が変わってしまう。

大谷:でも、公共空間だと、ほとんど声掛けないですよね?特に日本人は、道端で困っている人がいても、たぶん90%は無視するのではないかな?そういった中では、「贈与」が発生しづらい。下手に声をかけると、声をかけた人の責任が問われてしまう事もある。救命救急にしたって、下手にやってしまうと、自分に責任がかかってきてしまうかもしれない。「贈与」した方が責任を問われる社会になりつつある。だから、この居場所の中では、自由に「贈与」してもかまわない。むしろ、どんどん「贈与」を活性化する場所にしたい。

「贈与」の方は、責任を喜んで引き受けたい。


― 初日の夜に、責任は引き受けるものだと言っていました。例えば、「贈与」と「交換」を比較した時に、責任の意味が異なるのでしょうか?

大谷:変わるでしょうね。「贈与」領域だと、責任が生じるので関わる。交換は、たぶん同時に責任が生じますよね?行為すると、責任をもって行為しなくてはならない。贈与の場合は、困っている人がいて、困っている人を見た瞬間、責任が発生しますよね。助けなきゃいけない、声かけなきゃいけない。

― 市場の場合は、「交換」した後に「責任」が生じるという事でしょうか?

大谷:事後的に生じるか、事前に生じるか・・・そうゆう事かもしれないな。

― 誰に責任が回帰するのかというのは、「交換」では問われる事が多いように感じます。

大谷:「贈与」の方は、責任を喜んで引き受けたい。例えば、このぽっとに来ている子どもと一緒に遊びたい。それは、子どもが求めている前提があったとしても、やっぱり僕らが子供に「贈与」したいから、喜んで引き受ける。こうやって、喜んで責任を引き受ける空間が、贈与空間だと言えるかもしれない。

― 子どもが相手であれば、メンバーシップに捉われず、「ちょっと遊んでみようか」という気持ちになりますね。

大谷:子どもは積極的に求めてくるので、発生しやすいですよね。

― ちなみに大谷さんは、「遊び」はどう捉えていますか?

大谷:遊びはね・・・うーん、遊びは・・・・ えー、こうゆう事(手に持っていたペンを回し始める)これは、書くために作られている。書くために作られたもので書くと、それは遊びではないですよね。その作られた意図を外して、そのもの自体と戯れる事。ここに同調して、なんとなく回したくなって回してしまう。ボールが落ちていて、なんとなく拾って投げてしまう。それは、ボールのアフォーダンスの力によるものかもしれないけど、自分から何かしようと思ってしてしまうと、それは遊びじゃない。ペン回しで言えば、回そうと思って回すと、もう遊びじゃない。意図と外れた所で対象と関わるのが遊び。だから、ボードゲームは遊びではない。あれは、訓練ですよね。テレビゲームも訓練。

― 余白でいかに楽しむかというものを遊びと捉えているということでしょうか?そう考えると、ボードゲームは余白の部分はだいぶ少ないですね。

大谷:少ないですね。だから、あれは訓練や勉強と言った方がいい。学校教育に、非常に親和的な形。

― 学校教育で使いたいという人は見かけることがあります。

大谷:ゲーミフィケーションが流行るのは、日本は学校化された社会なので、しっくりくるという事だと思います。

― ゲーミフィケーションは、学校の中に遊びの要素を導入していると思っていたのですが、大谷さんから見たら親和性が高いもの同士がくっついている。

大谷:遊びは本来の意図からずれていくもの。僕はゲームしている時は、非常に厳しくて、ルールを守らない奴はビシッと叱って、怒ったりする。そうゆう意味では、僕も学校化されている。矛盾しているよね。遊びが大事とか言っておきながら、ゲームが大好き。

― 大谷さんの理論で考えると、矛盾してしまうかもしれない。でも、感情で考えたら矛盾しないと思います。遊びもゲーム「楽しい」という点は共通している。

大谷:「楽しい」という気持ちを効率よく動員するためにゲーミフィケーションが行われている。僕らは騙されやすいからな~

― 進んで騙されている部分もあります。

大谷:だから、そこの意図を外して対象と関わってやろうとぐらいにならないとまずい・・・僕は、ふざけた事にも許容幅がだいぶ広くて、例えばこの間鍋をやった時に、ちくわ一本そのまんま鍋に入れたんだよね。一般的に叱られる事だけど、ちくわで鍋の汁を吸うとかやったりとか・・・なんてゆうかな・・・規範から如何に逸脱できるのか。単に逸脱するのでなくて、対象と戯れる事で逸脱する。

― 鍋の汁をちくわで吸う事が、ちくわと戯れていると・・・

大谷:ちくわの形状から、そうせざるを得ないですよね。僕らは。ちくわ一本もたされたら、やっぱり吸っちゃいますよね。もしくは、吹く。あるいは、指をつっこむ。

― でも、1人でやってもつまらなくないですか?

大谷:僕は、1人でやっても楽しめると思うな。その時、やはり自由になれる気がします。遊びというのは、自分から遊ぼうと思うと遊びになれない。遊びに主体性はない。物と自分の間に主体性があるという間主体性の状態になる。その時、僕は対象と同一化してしまって、どこまでが私かどこまでが対象かわからなくなって、世界と融合できる。世界の一部に溶け込んでいく体験の先の方に、この遊びという現象がある。それは、別に他者必要ない。むしろ、対象が他者なので。他者と融合する事。それ自体気持ちいい事だと思います。

― ごっこ遊びの中で、砂の城を作って、「○○が攻めてくるぞ~」と1人で遊んでいる。本気で攻めてくるとは思っている訳ではないけど、本人は遊びと思って適当にやっている訳ではないと。

大谷:模倣遊びは、訓練っぽいな。たしかアンリオという人が、遊びを分類していましたよね?競争の遊び、模倣の遊び、運の遊び、眩暈の遊びと4つに分類していました。競争の遊びと模倣の遊びは、近代的で、学校教育で推奨されるような遊び。競争は、ゲームに近い。

― スポーツもそうですね。

大谷:スポーツもそうです。反対側のこちら(眩暈と運)側は、よくない遊びとされている。近代的な価値観にちょっと反するところがある。

― (運の遊びを指さして)ギャンブルとか?

大谷:こっち(運の遊び)は、ギャンブル。こっち(眩暈の遊び)は、ジェットコースターとか、ブランコとか、役に立たないもの。最終的にはバランスなのですが、模倣や競技が推奨されている状況はよくないと思っています。スヌーズレンなんかは、かなり眩暈的な要素が大きいと思うけど。

― 自分の好きな感覚を選ぶという部分では、大谷さんの言う「眩暈」の中に入るかもしれませんね。でも、それは使う人によって変わると思います。結局、競技や模倣の意図を持ってやれば、そちら側になるし、意図を持たなければ、眩暈や運の方になると思います。

大谷:ただ、遊び全般をもう少し眩暈や運の方に取り戻さないといけない。

次回の更新をお待ちください。

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大谷直史さん(鳥取大学 教育支援・国際交流推進機構 教員養成センター 准教授)
北海道大学教育学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は、社会教育学、 環境教育学。他者理解やコミュニケーション促進のツールとしてボードゲーム の開発・作成を行う。鳥取市に「みんなの居場所『ぽっと』」を設立、不登校の 子どものケアや子ども食堂の運営など、長年にわたり子どもの居場所づくりを 行っている。「ヒトトイロ」というボードゲームのデザイナーでもある。

2020年5月23日土曜日

単体の家族が自由にアクセスして、もう少しゆるく、広く、『贈与関係』を結ぶような組織が必要~大谷直史さん(みんなの居場所ぽっと)インタビュー~

現在YokaYokaでは、余暇支援に関わっている方(主に余暇、遊び、居場所)を中心に、「明日何しようかな~余暇支援に関わる方へのインタビュー~」と称して、お話を聞かせて頂いています。

前回までは、コミュゲ研の加藤さんのインタビューを3回に分けて紹介させて頂きました。

今回から鳥取でみんなの居場所ぽっとという居場所を運営している大谷直史さんに、「居場所とゲーム」を中心に、様々なお話を聞かせて頂きました。お話を聞かせて頂いたのは、新型コロナウイルスによる影響が本格的になる前の2月の下旬です。視察も兼ねて、ぽっとには2泊3日お世話になりました。

今回も含め、4回に分けてこちらのブログにアップしていきます。
興味がある方は、是非読んでみてください。

家族に代わりうる『贈与』をベースにした組織、あるいは制度というものを作る必要がある

― まず、大谷さんから、『みんなの居場所ぽっと』が、どういった目的で活動しているのかを説明して頂いてもよろしいでしょうか?

大谷:上級バージョンでいきますか?

―初級と上級があるのですね。 じゃあ、まずは簡単な方でお願いします。

大谷:易しい方は、みんなが自由にやって来れる、どんな人でもやって来れる居場所を作りたい。そうゆうとこなんですが、とりわけ周辺部にいる人ですよね。僕等がやりはじめたのは不登校の子だとか、あるいは虐待を受けていたりする子もいるし、障害を持っている、特に発達障害が多かったけども、そういった子の特に放課後の居場所、不登校であれば一日中という形で、作ろうと思ってやってきました。現在は、様々なニーズがあって、学童保育に少し特化したような形になっているけど、基本的にメンバーシップをとらない。ふらっとやって来て、ただ居て帰るという、そういった場所にしたいと思っています。

― メンバーシップに捉われない居場所という点を大事にされているのですね。次に、上級者向けの説明をお願いします。

大谷:上級向けとの説明としては、NFOという形を目指して活動しています。

― NFO・・・ですか?

大谷:ここは説明が必要ですね。私達は、3つの経済で生きています。国と市場と家庭の3つ。絵を見ればわかりやすいのですが、市場は『交換』をする経済があり、国は『分配』する経済があり、家庭は『贈与』する経済があるという事になっています。歴史上を含む全ての社会が、これらのいずれかの経済のブレンドで成立していました。しかし、今は、市場世界がどんどん増えていき、国や家庭の経済までが市場を中心とする交換経済に飲み込まれそうになっている。そうゆう状況を見て、市場だけに任せておけないという形でNPO(Non-profit organization)が誕生した。もっと公正な市場を作る事を目的に活動しているエージェントがNPO。国が頼りにならないから自分たちで国際的な活動をはじめたのがNGO(Non-governmental organization )。この流れの中で、家庭が壊滅しているので、家庭の機能を助けるために、Non-Family Organization 、つまりNFOという形が必要である。という新しい三角形の経済を作っていく必要があるだろうと。だから、この家族に代わりうる『贈与』をベースにした組織、あるいは制度というものを作る必要があるのではないか。この『みんなの居場所ぽっと』は、その実験場になります。

― 映画等の作品の中で『疑似家族』というのがでてきますよね。血縁と異なるつながりを持った家族の形として。それは、NFOと近いのでしょうか?

大谷:近いですね。現実に、ステップファミリーやシングルの家庭という形も存在しています。必ずしも、核家族が普遍的なものではないという事が明らかになっている。でも、上手くいかないから、様々な家族形態が試みられている。あの『沈没家族』とか好きです。『沈没家族』は見ましたか?

―すみません。「沈没家族」は見てないです。『万引き家族』であれば・・・

大谷:『万引き家族』も家族を新しく作ろうとする試みですね。でも、新しい家族を作るより、単体の家族が自由にアクセスして、もう少しゆるく、広く、『贈与関係』を結ぶような組織が必要だと感じ、この「みんなの居場所ぽっと」を始めました。

― 様々な家族が『ぽっと』という場所を媒体にゆるくつながる事ができる。それが、NFOの役割ということでしょうか?

大谷:もちろん、直接的な『贈与』も受ける・・・『子ども食堂』とかね。ここにきてご飯食べるだとか、一緒に遊ぶとか、そういった事もします。

― 以前、人が住んでいるところで『居場所』をやる事に意味があると、大谷さんが答えている記事を見た事があります。この考えはNFOに関係していますか?

大谷:それは、また別ですね。いわゆる施設等の仕事として対人サービスをやっていくと、直ぐに市場社会に飲み込まれてしまう。『贈与』関係をベースとした居場所をやるのであれば、絶対生活の延長としてやらないといけないと感じていました。それで住んでいるところでやりたかった。開かれた家族といってもいいかもしれない。すべては、『贈与』関係に持っていくための作戦。


一緒に場所を共有してしまっている事に意味がある。共有している事で、何かが生じて偶発的な関りが生まれる

― 先ほどの経済の話に関係しているかもしれませんが、『分配』とは文字通り分けて配る事ですよね?政府は、税を徴収し、分配する。『交換』は、物と価値を交換する。つまりは貨幣経済ですよね。『贈与』の場合だけ、何かを与えるという、一方的な関係ですよね?この『贈与』における与えるという関係性は重視していますか?

大谷:最初は、不登校の子ども達との関りから始めたという事もあり、人間関係がうまくとれなかったり、コミュニケーション弱者に関心があったので、僕もその一員ではあったのですが、そういう人々にどうアクセスするというかな・・・人間関係は、『分配』できない。たとえ『分配』できたとしても、分配された友達なんかいらないといって上手くいかない。同じように、『交換』、つまりはお金で人間関係を買うことができるのかといえば、たぶんそれはできない。だから、『贈与』しか関係性を与えられない。『贈与』を活性化するしかない。独居老人の問題等の人間関係を提供するには、不平等だけど『贈与』しかないと考えています。

― そもそも『贈与』は、不平等な関係性なのでしょうか?

大谷:『贈与』は、不平等でしか成立しないと思っています。特定の人と仲良くすると、他の人と仲良くできない。ある人と付き合うと他の人と付き合っていけない事になっていますよね。これは不平等ですよね?

― 特定の人と仲良くするために自分の時間を割くと、それは『交換』になっているような気もしますが・・・不公平だけど、『交換』が成立しているような感じがします。

大谷:いや『交換』は、平等ですよ。風俗は『平等』ですよね?お金さえだせば、誰でもアクセスできる。市場経済は、非常に平等な経済。ところが、贈与経済は不平等です。ある人と結婚すると、他の人と結婚できない。それは、非常に不平等だと感じています。少し危ない言い方になるかもしれませんが、その不平等さを緩和して、この『ぽっと』に来れば、誰でも『家族』になれるという事を目指しています。

― それは、疑似家族のような規定の家族の形に捉われないということでしょうか?

大谷:親密な関係性をランダムに与える。だから、メンバーシップもできるだけとらない。メンバーシップとると、メンバーとメンバー以外で区分して、不平等になってしまう。ここに居る人とたまたま来た人も、同じというふうにしたい。

― 『居場所』として場所を構えてやっているのは、アクセスできる事を利点と捉えているからでしょうか?

大谷:―緒に場所を共有してしまっている事に意味がある。共有している事で、何かが生じて偶発的な関りが生まれる。例えば、おならすればくさいとか・・・そうゆう関りをたくさん生じさせたいと思っています。たぶん、それは場所がなくても、例えば、オンラインでも構わないという話になるかもしれないけど、一緒に同じようにアクセスしても、オンラインだとおならがくさいとかわからないですよね。

― つながっていても、同じ空間にはいないので感じませんよね。

大谷:こうやって話しているのを、あの子が勉強をしながら背中で聞いている。別に、そこに意味はないもしれないけど、居る事によって生じてしまっているような感じにしたい。

― どの言葉が適切かわからないですが、空間を共にすることで、直接的なコミュニケーションではない、居ることによる何かが生じているというという事でしょうか?

大谷:そうです。それが大事だと思っています。

次回の更新をお待ちください。

みんなの居場所HP:https://potpot.localinfo.jp/

大谷直史さん(鳥取大学 教育支援・国際交流推進機構 教員養成センター 准教授)
北海道大学教育学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は、社会教育学、 環境教育学。他者理解やコミュニケーション促進のツールとしてボードゲーム の開発・作成を行う。鳥取市に「みんなの居場所『ぽっと』」を設立、不登校の 子どものケアや子ども食堂の運営など、長年にわたり子どもの居場所づくりを 行っている。「ヒトトイロ」というボードゲームのデザイナーでもある。